2022-01-01から1年間の記事一覧

戦争を拡大させる戦争報道

戦争報道は戦争を拡大させる。武器や戦況や占領地のことや戦略や義勇軍や戦争犯罪のことはもとより、戦災の悲惨さを伝えることも、戦争に関する報道や情報は、すべて戦争の肯定につながる。 戦争は、報道によって拡大し、継続される。 人は戦争を意識するこ…

戦況情報のくだらなさ

スマホに入ってくる情報ーーlineだか個人発信だか、マスメディアか通信社かーー情報源はいろいろかもしれないが、ウクライナの戦況が頻繁に入ってくる。関連して武器供与や義勇軍・傭兵などの情報も入ってくる。 くだらない。表現の自由を前提にした上で、そ…

暴力から生まれた男

暴力が男を作った。男が暴力を生んだわけではない。男とは、もともと暴力から生まれたものなのだ。暴力によって派生した遺伝子が男である。だから暴力と無縁な男などありえない。ゆえに男から暴力を奪うことは、男に死ねと言うに等しい。 だから暴力を否定し…

男が作った国家

当然ながら国家を作ったのは男だ。国家は女とは、いっさい無縁だ。 共同体は国家ではない。社会も国家ではない。 国家とは支配の全てである。 軍隊を持たない国家はない。だから軍隊の無い国は、名目や形式上は国家と呼ばれても、じっさいには国家ではない。…

無限欲望の犯罪

男のもつ犯罪性とは、無限欲望のことだ。男の本能および欲望・欲求は無限である。それは満足がない。たとえ満足した気がしても、すぐさま新たに欲望は湧き出る。 この男の無限欲望は、それを拡大させようとして、拡大が不可能になると破壊および暴力になる。…

性別の変容

世の中に犯罪は無い。あるのは男だけだ。男の存在が犯罪である以上、犯罪をなくすことは男をなくすことに等しい。 暴力と支配、これは男という存在の別な表現だ。しかし人類の半分は男なのだ。そうであれば現実的な解決は、男の変容であろう。男の消滅ではな…

多様化とは全て

多様化とは全てのことだ。しかしとくに重要なのは人間のことだ。 いろいろな人間が交わる必要がある。ごちゃごちゃに混ざるのだ。 幼い頃から、さまざまな人々がいっしょに生きることが大切だ。 性別ジェンダー、年齢、障害の有無、学歴、職業、経歴、家系、…

世の中の動きと共に

世の中と言っても世界と言ってもよい。世間や社会と呼んでもいい。 そういう、人々の集合体、ようするに複数の人々が集まったものはーーとにかく大きな力を持つのだ。 世の中は変わる。変わった世の中は、それ以前の世の中より優越した力を持っている。過去…

権力の否定

僕は権力を否定するから政治を否定する。良い政治や悪い政治ではない。政治は悪いものだ。選挙も議会も政府も憲法も民主主義も独裁も否定する。非政治的な世の中が良い世の中だと思う。少なくとも、政治的な世の中よりもいいと思う。 権力、暴力、侵略、戦争…

拡大と分裂のエゴ

国家、組織、制度、民族、集団…これらが拡大していこうとするのはエゴの発露だが、分裂していこうとするのも、やはりエゴである。 エゴは有形無形を問わず権力志向であり支配欲求だ。それは無限に巨大化していくもので、だからこそ、安易な支配欲求を充たす…

競争と序列と破壊

競争、序列社会、破壊や殺戮に結び付く戦争やテロを含めての暴力…全て基本的には、主として男性のもつ欲動からきている。 なぜそのような欲動が社会を支配してしまったのか?生産力の必要性からか?見栄やプライドを維持するためか?そのための企業の利潤の…

社会の根本改革を

今までの社会変革は、自由、人権、民主主義、基本的な生存・生活、そして平和といった理念的な概念とその実現化ということに意識が持たれてきた。それらが大切なことはいうまでもない。しかしそれらは、主として、法的政治的および経済的なことに主眼がおか…

近代の変容

近代は変容しなければならない。 法律は個人を救済するものに変わらなければならない。個人が問題を起こした場合は、その問題を起こした個人も、その問題によって被害を受けた個人も、ともに救済されなければならない。法律の目的と手段は、処罰や制裁ではな…

「できない」と補助

個人の能力で「できない」ことは、他者の補助によって「できる」ことになる。それが仕事でも勉強でもスポーツでも芸術や趣味や遊びでも、また健康の維持や日常の生活も、人間関係もーーさまざまなものごとは、個人の能力を超える。言い方を変えれば、個人の能力…

利他的と集団と戦争

戦争は集団で行われる。理論的に1人だけでする戦争とか個人がする戦争というものは、事実上はありえず意味はない。戦争は集団と集団のあいだに行われる武力紛争である。 通常の感覚で、武力を用いての大規模な戦いが可能であるためには、敵対する集団を憎み…

集団と利他主義

海外のことはひとまずおき、日本でときどき日露戦争なり太平洋戦争なりを舞台とした映画が作られ、そのたびに話題となる。そして必ず政治的な批判と賛美が、思想的な両陣営から聞かれる。その主張の内容は殆どいつも同じで、「反戦」と「愛国」の衝突となる。 愛…

利己・利他と自分

僕は利己的なので、利他的な人が好きで利他的な人の必要性を強く感じている。 利己的な人間の基本的な特徴は、自分は他者から益を得たい、というものだ。そして自分は、それが自分の益になる場合には、他者の益を望むが、自分の不利益になってまでは他者の益…

脳ミソの終焉

人類は脳ミソを必要としなくなる。人類にとって幸いなことだ。 脳ミソとは、人間が傲慢になるために必要な機能だった。それが文明をつくった。だがその役割を終えようとしている。これからは文明がコントロールしてくれる。 脳ミソはヒトを支配していた。支…

「わかっている」こと

たいていは「わかっている」ことが出来ない。わかっていることが出来ていれば、個人の人生も、集団としての世の中も、いまよりも、はるかに良くなっていると思う。 だから自覚することは、「わかっていてもできない」のが人間だということを知ることだ。つまり「…

愛と本能

愛と本能の違いは判らない。たぶん愛と呼ばれているものは、生物としての何かなのであろう。「何か」であるに決まっている。それを具体的に指摘できなければ仕方ないと思うが、具体的に指摘したり説明したりできないのだから、やはり仕方ない。そこに自分の能…

「できない」と可能性

これまでの社会常識の価値観が、個人のさまざまな能力の「できる」を良いことで肯定的にみてきたことに対して、これからの世の中は、「できない」ことに対しても、それが決して悪いこと否定的なことではなく、それはそれで一向にかまわない、という肯定的な価値…

「こだわり」なき世界

必要以上の「こだわり」を捨てれば、人生も社会も、今よりずっと良くなる。 見切りをつける判断をして、状況次第ではまた希望をもち努力も惜しまない。イヤなこと、つらい時のことを思い出して、今が幸せなことを感じる習慣をつける。感謝が多く感じられるよう…

脳の退化

退化か進歩かは主観だ。とりあえず退化としておくが、人類の脳は退化していく気がする。とくに大脳のそれも言語を始めとして思考や判断など論理的な関連の分野は、その機能が低下していくだろう。それはいいことだと思う。人間を特徴づけるそれらの機能は、…

憲法の限界と変遷

憲法は絶対ではない。絶対ではないが、かなりいいものだと思う。そして限界がある。だから安易に変えると混乱し信頼性を失うから、解釈改憲がいい。解釈改憲の中身の良し悪しはまたべつなことだ。抽象的だが本筋だけ言えば、基本理念を守って、時代に合った…

「正しさ」と時代

普遍的な正しさがあるかどうかは判らない。あるような気がするが、それを確信をもって「必ずこういうものだ」と言う自信はない。 ただ、その時々の社会において、だいたいの正しさとか、良識などは、ある程度は判るものなのだと思う。 時代により正しさも変わ…

「できる」と傲慢

傲慢の基本は「できる」ことにある。人間が、他の人間を非難するときは、必ずそこに「自分は、それが出来る」しかし「その人は、それが出来ない」という気持ちと考えが前提になっている。そこには「できる者」が「できない者」に対する蔑視と差別の感情および認識があ…

「できる」「できない」

近代以降から現在まで、人間のとくに個人の能力は「できる」ことが良くて、「できない」ことは悪い、と考えられてきた。しかしこれからの社会の認識は、それに変化を必要としてきた。 能力にもいろいろある。かつては、能力という場合に主として、それは職業や職…

多様化社会を進める

多様化社会を進めていくことは、個人・個性に対して汎用性を広げていくことだ。個人は世間に対して、世間は個人に対して、その許容範囲を互いに多くしていくことだ。そして今後は、今まで以上に、とくに世間が、個人の持つ個性に対して、理解と寛容そして認…

近代の行方

近代に対しては賛否両論ある。個人の可能性とその個人の能力が社会を発展させていくという意味で肯定的に近代は認識されてきた。同時にとくに近年は、能力差が多くの弱者を生み、それが個人の責任を超えた問題になってきたということがある。 問題の焦点は、…

ウクライナ戦争の報道

自由が大切なことを前提に、自分の好みを書く。 ウクライナ戦争の報道は嫌いだ。もちろんロシアの軍事や政治、プーチンの報道も嫌いだ。 戦争を煽る報道でしかない。ネットもマスメディアも含めて、報道や情報やメディアは、戦争を肯定する手段になっている…