2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

コミュニティこそ最重要

コミュニティを作ることが、いちばん大切だ。その人その人にとっての自分のコミュニティを作ることだ。 コミュニティとは、仲間感覚で共同体感覚のことだ。それは、組織や制度や形式や名称ではない。 家族だからコミュニティとは限らない。友人だからコミュ…

身近に仲間と共同体を作る

自分の、その人にとって、関わりやすいところで仲間意識を持てるようにすること、そしてそれが共同体感覚になること。これがいちばん大切な人間関係だと思う。それが職場でも家族でもサークルでもいい。時間と空間を長く密接に関わる人々があり仲間・共同体…

執着が不幸を招く

悪の根源は欲望と執着だ。執着の強い欲望だともいえる。とくに人に対する執着、愛に対する執着は、自分も相手も周囲も不幸にする。恋愛ではとくにそれが目立つが、恋愛に限らず、友情でも親子など血縁に対する執着であろうと、家族や世間・社会など人々全般…

共同体ではない

人種・宗教・言語・民族は、共同体ではない。それらは身内感覚からくる同族意識の集団だ。家族・企業・政党・自治体・国家なども共同体ではない。それらは利害関係や連帯意識でつながる組織だ。 共同体は仲間感覚の集団だ。そこには仕事や趣味や思想信条など…

個人・仲間・共同体

人間の核は個人だ。個人は他者と生きなければ存立できない。それは身近な利害関係が強く感じられ、協力関係が日常に実感でき、感情の共感と共有がある、それが仲間感覚だ。それを時間と空間、つまり時と場を共に生きている感覚が恒常的であるとき、その状態…

近代の洗練

西欧の近代で真に普遍的なものは、個人の尊重と自由だけだ。それ以外のさまざまな思想や制度や慣習的なことや文化面などは、西欧近代だけではなく、他のさまざまな世界や時代にあるものであり、またこれからも生まれてくるものであろう。 価値も文化も科学や…

売り手

承認欲求の基本は、自分自身が売り手になりたい、ということだ。それがベースだ。買い手、つまり「客」ではダメなのだ。それが何であろうが「売り手」側、「供給者」側でありたいということだ。それによって自身が人々に、世間から、「認められている」という実感を…

承認欲求は多忙さで充たせ

承認欲求の是非は問わない。ただ、承認欲求の強い者が救われる方法は、多忙になることだ。多忙が必ずしも人々のためになっているか否かは言い切れないが、たいていは、何らかの理由で多忙であることが人々に役立っている場合が多いと思うのだ。まあすくなく…

思想を語るのは暇人

思想を語る者は必ず暇人だ。その内容や役割や影響力のことに関わらず、それを考え、興味をもち、語り主張する者は暇人だ。暇人だから悪いといっているのではない。暇人という事実を言っているのだ。 ほんとうに有意義なことをしている人は、忙しくて思想など…

苦しみと苦労は同じか?

苦しみ、苦痛、肉体的に精神的に、あるいはその両方を含めて。いえることは、イヤなことだということ。苦しいのだから、よほどの変わり者以外は、ふつうそれはイヤだろう。つらいのはイヤだ。イヤではないという人が絶対いないとは言わない。言わないが、そ…

環境と人柄

環境と人柄をどこまで影響があることかは解らない。かなり影響はあるであろう、ぐらいは言える。 傲慢か謙虚か、親切か不親切か、疑い深いか人を信じやすいか、優しいか冷たいか、ーーそこはいろいろあるだろう。ただ、ある程度いえるかと思うのは、周囲の人…

日本の知識人は脳ミソが無い

日本の知識人はなぜ脳ミソが無いというのか?それは異なる思想信条や思想家を尊敬しないからだ。例えば右翼・国家主義などの思想家、あるいはそこまでいかずとも、いわゆる保守の論客といった人々がいるがーーこの人々を左翼とか平和主義者とか、いわゆる進…

真珠湾を軽くみるな

これまで日本人は真珠湾奇襲攻撃の問題を軽く観ていた。アメリカ人がことあるごとに「真珠湾」を口にすることに日本人は真剣に耳を傾けてきただろうか?忘れてはいけない。日米戦争の被害国はアメリカであることを。 戦力の差で日本はアメリカにボロ負けしたの…

知識なんかいらん

知識なんかいらん。知識など役に立たなくなる。もう間近だ。アリストテレスを皮切りに、体系化された知識を集積することが流行って以来、洋の東西を問わず知識の集積とその資料集めを「学問」として世は尊んできた。 偉そうに見えるからだ。立派そうに感じられ…

平等と無個性

いっさいが平等になる。そしてすべて同じになる。科学技術と社会システムが発達していけば、ほとんどの世の中の差別化はなくなる。同時に個性の喪失も意味する。容姿の美醜、筋力や体力もちろん健康も。技術や芸術も基本はコンピュータがしてくれる。多くの…

知識は不用になる

スマホはじめコンピュータなどハイテクが発達した現在、知識は不用になった。もちろんゼロではないが、これまでに比べてゼロと言っていい。自国語の基礎ができて、小学校の算数が分かれば、あとは辞書を引ければいい。紙の辞書でもそうだが、とくにパソコン…

実力と面白さ

小説や漫画、映画やアニメなど、物語というか娯楽というかエンタテインメントというか、それは人気に尽きる。芸術性がどうのこうのは関係ない。第一に芸術性など誰も決められない。売れる、人気がある、評判がいい、それらがいちばん客観的な価値だ。 作者と…

真理なんて適当に

以前のように、何がなんでも真理を求めねば、という気持ちはもうない。まったく真理など、どうでもいいのか?と言われたら、そうとも言えない。ただ、たぶん、真理というものに対して、以前のようにほど、こだわりはもたなくなった、ということだと思う。な…

知識の位置は変わる

知識そのものは必要だろう。それは殆どの人々が判っている。ただ、その知識の位置付けや意味は、だいぶ違ってきていると思う。 知識は動き変化もする。固定したものではない。昔のように、天才や偉い学者たちが残した書物に「すべての真理が記されている」とい…

欲求不満と孤独感の結果

右翼・国家主義・民族主義・極端な人種差別・性差別ーーこれらの人々は、欲求不満と孤独感もしくは孤立感の極度の束縛を受けている者たちだと思う。総じて自分が、他の多くの人々や周囲に交われないと強く感じている。その反動が、自分が特別に優れていて、…

協調願望

同調圧力という言葉が流行っているようだが、イヤな表現だ。それよりも、「皆と共に仲良く行動したい」とか「お互いを尊重し合いたい」とか、そういう前向きな生き方を表現したもののほうがいい。 僕としては、いまよく世間で言われているような同調圧力という言…

同調圧力は当たり前

同調圧力に対して批判的な風潮があるようだが、同調圧力は人間の自然な言動であり感覚だと思う。人間は自分を守りたいと感じるのが当然だと思う。だから多数の動きに自分が向かうことは、あまりにも当然なことで、そしてそれはとても良いことだと思う。「同調…

最低限は暴力の管理

国家だ政治だというものがなくてすむなら、それにこしたことはないのだろう。だかじっさいになかなかそうもいかない。とすれば、いろいろやることはあるだろうが、どうしても最低限しなければならないのは、たぶん「暴力の管理」なのだろう。権力の義務として…

変革の担い手は若者だけ

変革は若者だけが為せる。それは生理的なことだ。知性も能力も、性格や人柄も、関係はない。地位や立場も無関係だ。ただ、若いか、若くないか、その違いだけだ。反撥…ここで反発よりも反撥という文字のほうがいい。なんとなくそう感じるのだ。 おそらく理論…

変革はなぜ?

なぜ変革は起きるのだろう?ものごとがーーそれが個人でも集団でも、人間でも社会でもーー変化をしていくことは、むしろ当然で、不思議ではない。それが変革は普通に変化をすることと、どう違うのだろう?たぶん「変わる」ということでは同じなのだろう。それ…

自分のためが納得する

「自分のため」は本当に納得できる。 無理にしなければならない、あるいはしたいことを我慢しなければならない、そういうときは、なかなか納得がいかない。そういうときは、なぜその場合に、我慢せねばならないかを考える。それは、そうすることで、なんらかの…

流行は…

なかなか流行というのが解らない。要するに流行に疎い。自分の好み中心だから、なかなか周囲の状況や世の中の流行りということに敏感にはなれない。それはいちおういい… 流行を軽薄とバカにはしない。それどころか、軽薄はいいものだろうと思う。気楽に、堅…

世界の権力は変わる

世界の権力は変わる。 暴力を管理することが権力だとすれば、権力はその管理能力を失った。 権力外暴力は、悪魔チックに、ちらほらとその姿をアピールしてきている。個人の暴力など犯罪、風潮や風評あるいはデマ、昨今のコロナ、スマホを含めてメディアの膨…

脳ミソの変化

脳ミソは変化しつつある。かつてのような記憶や思考や感情だけではなく、じっさいに妖怪化してきたということでも、脳ミソは変化をしてきたのだと思う。やがて脳ミソは、精神でも身体でもなく、人間やせれ以外でもなくて、脳ミソという独自な存在になってい…

知識の不用化

知識が必要だというのは、必要に応じての場合だ。スマホやコンピュータ、従来の「紙」の資料や本などを含めて、何かその時々に必要な知識が解ることが大切だ。またその知識をうまく説明したり教えてくれる人も必要だ。 ただ従来のように、知識を多く持っている…