近代の行方

近代に対しては賛否両論ある。個人の可能性とその個人の能力が社会を発展させていくという意味で肯定的に近代は認識されてきた。同時にとくに近年は、能力差が多くの弱者を生み、それが個人の責任を超えた問題になってきたということがある。

問題の焦点は、能力の多寡によって、それがその個人の人間としての価値にまで影響をしてしまうことだ。能力を広く考えれば、学力や体力や技術力などはもとより、容姿や人柄やコミュニケーション能力などを含め、さまざまな要素がある。

能力に相応しい職業・職種や役割を為すことは当然だ。ただそれが極端に報酬・収入や地位や社会的な名誉などに格差をつけることが問題になる。大きな能力を発揮した者が、ある程度の普通以上の利益を受けるのは判る。ただそれは極端なものであるべきでなく、プラスαぐらいであるのがいいだろう。

個人の問題を個人の努力や責任だけで済ませず、社会の全体の、みなの問題と課題として考えていくことが、近代を超えていく道だと思う。