近代の変容

近代は変容しなければならない。

法律は個人を救済するものに変わらなければならない。個人が問題を起こした場合は、その問題を起こした個人も、その問題によって被害を受けた個人も、ともに救済されなければならない。法律の目的と手段は、処罰や制裁ではなく、保護・保障・助力・支援でなければならない。

経済は福祉と文化にならねばならない。経済的利益とよばれるものは、弱者の救済、個性の尊重、万人の生きがいと人間関係の保障のためのものでなければならない。それらのことを充たしてのちの余剰が、産業および経済活動における純粋な利潤である。

個人を能力で差別しない。能力は知識・技術・体力・運動能力から、芸術的センス、容姿などの外見、さらに性格や人柄など人格的なことも含める。仕事や職業はその目的からくる必要上の選別はせざるを得ないが、それは明らかな安全性のためのみのことである。個人の「できない」ことを責めず、むしろできないを前提と認識し、他者や周囲が「できないこと」を手伝い、また、できなかったことは他のできる人がする。個人の能力を丁寧に把握して、無理のない能力発揮ができるようにする。すべての人が承認欲求を必要としなくてもすむ世の中をめざす。すべての個人が、承認欲求を生じさせずに、当然に「自分は必要とされている」という実感がもてる社会にする。

個性と常識が接近していく世の中をめざす。個性と社会的多数の常識が互いに歩み寄る世の中。ただし多数派のほうが力関係で優位になるのが常なので、基本的に常識のほうが個性に積極的に歩み寄るような世の中。少数者と多数者とが、少数者のほうに、より近づいていく真の多様性共存の社会をめざす。

これからの時代こそ、近代は新しい変化を遂げなければならない。