「できない」と補助

個人の能力で「できない」ことは、他者の補助によって「できる」ことになる。それが仕事でも勉強でもスポーツでも芸術や趣味や遊びでも、また健康の維持や日常の生活も、人間関係もーーさまざまなものごとは、個人の能力を超える。言い方を変えれば、個人の能力だけでは為すことが不可能だ。ゆえに全ての個人は、全てのものごとや行為において、他者の補助・助け、協力によって為している。それが目に見えることかどうか、直接的なことか間接的なことか、それの程度・度合いや種類・内容などがどうか、ということはあるだろう。それでも、なんらかのかたちで、個人はその行為が、生きることそのものがーー他者からの助力によって為している。

「できない」と補助・助力は、人間の為すことの前提だ。仮に、たまたま稀に明らかに個人だけで出来ていることや、それをしている個人がいる場合、それはそう「できる」のだからそれでいい。だからといって、その個人が特別に偉いわけではないし、そうでない者が劣っているわけでもない。

世の中は「できない」と、そのできないことを「補う」ことで成り立っている。