社会の根本改革を

今までの社会変革は、自由、人権、民主主義、基本的な生存・生活、そして平和といった理念的な概念とその実現化ということに意識が持たれてきた。それらが大切なことはいうまでもない。しかしそれらは、主として、法的政治的および経済的なことに主眼がおかれてきた。今後はそれに加えて、社会的また心理的な生活と職場、日常の人間関係などに加味した世の中の全般的な深みまでを包括した在り方が問われていく。

まず世の中から「裁く」という概念を除いていくことだ。昔から「罪を憎んで人を憎まず」という言い方があるが、これを文字通りに解釈し実行しようとすると無理が生じる。なかにはそれをできる人もいるかもしれないが、それはよほど「できた」人のことで一般的には不自然で無理にしようとすればキレイゴトになる。だから「罪を憎めば」必然的にその罪をなした「人を憎む」のは当たり前の感情だ。ただそれでも「裁かない」ことが大切だと思う。裁くとか処罰するとかいうことは、「上から目線」だ。それは「こちらは正しい」「相手は間違っている」という、自分は正しい側にあり、相手側は間違っているという、人間の優劣に通じていく。裁く罰するではなく、これからはみなが救済をされるような法の在り方になっていく必要がある。

承認欲求と男性的な欲望を解消していく。暴力と破壊衝動、競争意識と優劣の感覚、支配と権力、といった感覚や感情は基本的に男性的な欲求から生まれる。女性にもそれはあるが、しかし女性のそれは男性的な世界に引きずられてそれに乗じた結果のものであり、本来的なものではない。暴力・優劣・権力を基盤にした男性的世界は消滅することが望ましい。

能力による人間に対する差別をやめる。能力の概念を広く考え、知識・体力・技術さらに芸術的なセンスなど、歴然と分かりやすい能力、仕事や職業の能力などはそれらが現実にあることは理解できる。仕事などでそれが適応や向き不向きがあるのは当然だ。ただその場合にも、他者によるサポートが重要視をされる必要がある。個々の人の能力を支える、個々の人が不足していることを他者が補う。能力はみなが協力しあって発揮されるものである。また能力を広く認識していくようにする。人の容姿など外見。さらに性格・人格・人柄などのいわゆる精神面のことも、それを能力と捉え、それを人々が支えあって生きていけるような世の中をめざす。「できない」ことを差別したり蔑視するのではなく、「できない」も「できる」も共に肯定し尊重する。ただ「できない」ことや「できない」人を、支えていくことの大切さを実感していけるような社会的な慣習とシステム、人間のつながりをめざす。

すべての人々のコミュニケーションを大切にする。とくに知的障害や重度の精神障害、自閉や鬱症状、虚言癖、依存症など、なかなか社会に溶け込めない人々が排除されない世の中。これまでは「逸脱者」として特別な目で見られていた人々が、それを本人の問題として捉えるのではなくて、その人に適合できない社会のほうに問題の本質をみなが向けていくこと。

「利他的」な気持ちや行動は大切で尊いが、その利他的な感情が自己の所属する集団のみに向けられるときには、それが集団エゴイズムに転化しやすいという危険性を、多くの人々が理解していくこと。とくに戦争や民族紛争、人種差別や「魔女狩り」的なヒステリックな排除と暴力を如何に理性的に対応できるかを、理論のみならず実際の感覚で学んでいく。

昨日まで仲良く共存していたと思われていた人々が、民族、人種、言語、宗教やイデオロギーなどを異にすることの理由で、突然に相争うことになることを、人類は繰り返し経験をしている。それはとくに二十世紀から甚だしく見られる気がする。そこには個々の理由があるのだろうが、民族にせよ国家にせよ、宗教や政治イデオロギーにせよ、それらが集団と集団の対立になったとき、信じられないほどに激しい暴力と憎悪の争いとなる。それらの問題を含めて、人々が集団や仲間などの自己の周囲や自己が所属する集団を大切にすると同時に、自己が個人としての意識と判断をもてるようにしなければならない。そのためにも、おざなりや形式だけではない異文化に触れることをしていかなければならない。

少数者・少数派が多数者・多数派と溶け合っていくことは、個性が常識化をしていくことである。個々人のもつ個性は、世の中の一般、多数派、常識、普通の感覚と習俗といったことと譲歩しあいながら溶け合っていくことが理想と思うが、そのさいに、世の中のほうで個性に「より」歩み寄る傾向が必要だと思う。相互に歩み寄ることが必要だが、相対的に弱者になりやすい少数派の個性のほうに、多数派であるほうが譲歩していくことが、より求められていくべきではないかと思う。個性と常識が接近するほど、それは優しく住みやすい社会だと思う。

本当の共生社会は「言うは易し」だが、しかしそれでも、それは必要なことなのだと思う。