苦しみと苦労は同じか?

苦しみ、苦痛、肉体的に精神的に、あるいはその両方を含めて。いえることは、イヤなことだということ。苦しいのだから、よほどの変わり者以外は、ふつうそれはイヤだろう。つらいのはイヤだ。イヤではないという人が絶対いないとは言わない。言わないが、それは少なくとも自分の理解も感覚も超えている。それは判らない。
苦労は…そこには結果として苦しみや苦痛などが含まれると思うが、ただ、ちょっと違う気がする。どう違うか正しく説明できない。でも違うと思う。「可愛い子には旅をさせろ」「若い時の苦労は買ってでもしろ」…こういう如何にも昔めいた格言などを聞くと、単純に思うのは、苦労には「つらい」「苦しい」がたしかにあるにせよ、それは何か優しさ的なものを感じる。あるいは修行めいたことを感じる。もちろん、そう断言はしない。
しかしとにかく、一概に良し悪しは言わないとしても、一種の肯定的なニュアンスのようなものを感じる。
だからといって、苦労したほうが、いいの悪いのと安直には言わない。そのあたりは、これをくどくど繰り返すのはやめる。
言い方をちょっと変えれば、ある程度は「人は苦労が必要かもしれない」と思うことも、正直ある、ということだ。ーーほんとうに文字通り「苦労知らず」では、たしかに生きていくのが困るだろう。そうは思うということだ。
好んで苦労することはないと思う。イヤでも苦労はするだろうから。ただ、世間を知ることは必要だろう。どんな苦労をどれくらいするかはともかく。しかし自分の思い通りにならないことがたくさんある、ということを実感しておくことは、基本的に、誰にとっても必要だろう。自分の生き方をちゃんと把握するためにも、それは大切だ。つらいことは少ないほうがいい。そのためにも、人々と生きていくための術を学ぶためにも、いわゆる「苦労」は必要なのかもしれない。