承認欲求は多忙さで充たせ

承認欲求の是非は問わない。ただ、承認欲求の強い者が救われる方法は、多忙になることだ。多忙が必ずしも人々のためになっているか否かは言い切れないが、たいていは、何らかの理由で多忙であることが人々に役立っている場合が多いと思うのだ。まあすくなくとも、多忙であることで、孤独や孤立感、退屈やイライラ、空虚さや無力感、余計なことを考える時間とか妬みやコンプレックス、くだらない攻撃性や排他主義…そういうものに惑わされる暇がなくなる。
忙しい人、忙しすぎる人は、そのことだけで偉いのだ。