知識の位置は変わる

知識そのものは必要だろう。それは殆どの人々が判っている。ただ、その知識の位置付けや意味は、だいぶ違ってきていると思う。
知識は動き変化もする。固定したものではない。昔のように、天才や偉い学者たちが残した書物に「すべての真理が記されている」という考えは、もう時代遅れになった。真理とか真実とか事実とか…まあ、要するに「本当のこと」というやつだ。それは、たしかに偉大な書物や名著と言われるものの中にもあるだろう。しかしもちろん、それがすべてというわけではない。「本当のこと」は、そのほかにも無数にあるだろう。
ネット社会になり、知識の権威というものも、大きく変化した。大学を中心にした、いわばアカデミックとか学術的とか言われるものは、依然として地位を保ってはいるが、これだけ多数の人々がしかも相互的に知識や情報を交換するようになってくると、実質的に学校などいわゆる公的な機関とそれ以外の人々や社会の「知識」の差は縮まってくる。
大学、民間、個人、マスメディア、SNS…さまざまな情報が混じり合い、入り乱れ、「知識」は無限に変貌する。
科学と技術は急速に発達する。極端な場合、昨日と今日、時間単位で「真理」は書き換えられる。
もう人々は、何かある1つの「真理」だけを信じるようなことはなくなった。ーー現代は、真理・学問・知識などが無い時代だと言える。