最低限は暴力の管理

国家だ政治だというものがなくてすむなら、それにこしたことはないのだろう。だかじっさいになかなかそうもいかない。とすれば、いろいろやることはあるだろうが、どうしても最低限しなければならないのは、たぶん「暴力の管理」なのだろう。権力の義務として、暴力を野放しにしないことが、多くの問題や弊害を持ちながらも「権力」というものが存在する理由、権力の「最低限の義務」のようなものだろう。だとすれば、たしかに、とくに近年いわれたように、日本の徳川政権の時代は、多々問題を抱えていながらも、暴力の管理をそれなりにうまくやれていたということは、いえていたのかもしれない。だから徳川幕府の政権の世の中が、つまりいわゆる江戸時代が、すべての時代や社会のなかで、いちばん良かった世の中だといっているのではない。しかし、国内も対外でも、いちおう戦争や大きな争いがなかった、かなり少なかった、ということはある程度いえるのだろう。それはかなり重要なのだと思う。
だから江戸時代がもっと続けばよかったとはいわないし、また現に続くことはできなかった。だが、その後の日本の近代以降の歴史を考えると、その時代の世界の帝国主義という時代の仕方なさはあったとしても、いろいろ考える材料、参考になることではないかとは思う。