真理なんて適当に

以前のように、何がなんでも真理を求めねば、という気持ちはもうない。まったく真理など、どうでもいいのか?と言われたら、そうとも言えない。ただ、たぶん、真理というものに対して、以前のようにほど、こだわりはもたなくなった、ということだと思う。なぜ?それはどうして?そういう素朴な疑問を、いろいろなものごとに対して抱くことは相変わらずある。格別な理由があるわけではなくて、ただ、しぜんと疑問や問いかけが、自分のなかに生まれてくるからだ。それはイヤなことではないし、おもしろい。
とはいっても、昔のように、なんでもかんでも、どこまでも、とことん…というわけではなくなってきた。そういう気力も減ってきたし、めんどくささも感じるようになってきたようだ。
なんでも「あきらか」にすればよい、という気持ちや考え方は、ずっと少なくなってきたのだと思う。
真理も、真理を問うことも、悪いことでもないし、嫌いでもない。ただ、それがある程度、適当になってきたのだと思う。