思想が不用になった

思想と言われてきたものが、必要なくなった。よいことだ。なぜなら、思想が必要とされる世の中は、なんらかの意味で、悪い時代であり悪い社会だからだ。

その思想がどのようなものであろうと、思想とは、かならず何かに対立するものだ。それが仮に、直接に武器や暴力や権力などを使わないとしてもーー思想は、なんらかのことで、対立や戦いに関係をするものである。

冷戦が終わり、社会や文化の多様性が認められてきて、自由と民主主義と人権は世界で普遍的な価値と支持され、マスメディアとSNSでこれだけ情報が発達した、この現在の世の中においては、もう思想の果たす役割は終わった。また、それは終わらせるほうがいい。

学問の一分野として、また個人的な趣味として、あるいは人の生き方や人生観のようなものとしての思想は将来も残るかもしれない。それはそれでいい。だが、社会を変える、あるいは変えようとするパワーとしての思想と言われてきたものは、事実上は消えていくと思う。それでいいと思う。

皮肉でも逆説でもなくて、ほんとうに思想を必要としない世の中になったのだと思う。