感性の日本文化

日本文化が感性の文化だなどと言えば、何を今さら、と言われるだろう。こんなことは当然すぎると認識されているからだ。それは前提だが、しかし今までは、日本文化を語るときに、あまりにも理屈を言い過ぎたのではないだろうか?やれ禅の影響だの、「静と動」がどうの、「自然に手を加えるのではなくて、自然に任せるのだ」とか、自我から離れて無心になれとか…それらは確かに個々の指摘は基本的に正しくその通りなのかもしれないが…しかし、そういう説明じたいが、すでに理屈っぽくはないだろうか。
どうでもいいから、日本文化というのは感性の文化なのだ。感じる、感じた、なんとなく、漠然と、茫漠と、気がついたらそうなってた…そんなことでいいと思う。それが日本文化なのだと僕は思う。