資本主義・社会主義の言い方は古い

言葉は人を制御する。政府を超えて支配もする。…主義という言い方はとくに大げさな感覚を抱きやすいためにそのきらいも多い。
とくに資本主義や社会主義という言い方は、実態がないものを言葉のイメージで人々を支配してしまうその典型だと思う。
経済や社会は、基本的には活動が初めにあるのだから、どんな名前を付けてもその機能は変わらない。モノやサービス、生産と消費、被用者と雇用者、物価と収入…こういうことは現実にあること。社会主義でも資本主義でも、そのほかにいろいろな名称を変えても、その実態は同じだ。ただし名前や呼び方を変えることで、そのイメージの変化から人々の意識も変化し、結果その実態も変化するということはある。意図的に人々や社会の認識を変えるために名称を変えていくこともある。それはそれで必要なことであり大切だ。ただ、資本主義や社会主義のように社会やシステムや思想など全般に対しては、それらが表現する範囲や規模が広すぎるために、その単語を用いることでしぜんとその社会をまるごと全て無批判で受け容れてしまいがちになる危険性がある。社会の受容は大事だが、名称に支配されると、ついすべてが仕方ないと思ってしまうことが多い。「それが資本主義なのだから仕方ない「社会主義とはそういうものだ」…というように。諦めも大切な場合があるが、本来は諦める必要がないことまで早くに見切りをつけすぎてしまい、努力や改善をどんどん放棄してしまうということもよくある。名称、言い方が、命名…言い方ひとつで大きく変わることもある。逆に、言い方だけで内容が伴わずに、誤魔化されてしまうようなこともある。言葉にこだわらず言葉を大切にする、それがしぜんとできるようになりたいものだ。