現実と理想主義の共存

日本文化は、現実と理想主義の共存社会である。実際に日常生活や仕事、人間関係などで、天然にやりやすいことを選択している。特別な意識がなくても、ものごとがスムーズに進んでいく方向に向かうのだ。しかし、だからといって、すべてがうまくいくわけではない。誰でも、あるいは組織や集団などでも、困難なことがあり、苦しい思いをすることがあるのは、残念ながらそれもまた「現実」である。そこに理想主義は生まれる。
「これは耐えられない」「助けてほしい」 「もっと、こうなってほしい」それが、「願い」として「あってほしいこと」として、そして「本来のあるべき社会の姿」として描かれる。それが「理想」であり、それを求める考え方が「理想主義」である。
とくに、社会や国の全体、国民の多くの人々、その全般的なことでは、それなりに、うまくいっている場合。しかし、その世の中の全体の動きには合わない人々、それでは困る人々、苦しむ人々もいる。どんな社会でも、必ず「落とし穴」がある、歪みが生じる、すき間が生まれる。そこでつらい思いをする人々に対して、どう感じるか、どう考えるか?そこに問題の焦点があるのだ。そこで苦しむ人々、社会の大きな動きや仕組みに馴染まない人々を、「それはその人々の責任だ」「社会についていけない人間に問題がある」と、それを、その人々のせいにして切り捨てる考え方もある。だか、そうではなく、そうした苦しむ人々を生む社会のほうに問題があると考える人々もいる。それは、人々の個性というものを最重要視して、それを「個人の尊厳」として、その1人ひとりを大切にすることが社会の目的であり、そういう社会であることが、けっきょくはすべての人々が幸福になれる、そう考えるのである。ーーこれが理想主義である。理想主義は、現実にはそれをすることは困難かもしれないが、しかしそういう方向に進んでいきたいという考え方であり、希望である。
現実と理想主義、この二つがしぜんに共存し、共生している、それが日本の社会であり、その姿が日本文化なのである。