国家・民族・狂信

国家・民族・狂信…これに対応はできない。

国家とは、この場合は政治権力と軍隊だ。民族とは、集団主義の典型である。狂信は、それが宗教でもイデオロギーでも、ほかの呼び方でも、とにかく「それが絶対に正しい」という感情である。ーーこれらはいずれも戦争の最大の原因となる。

スマホによって、世界は相互につながれた。しかもそれは、一方通行でなく、相互の情報とコミュニケーションが可能となった。

商品も世界を席巻した。ハンバーガーは宗教に配慮して、牛や豚を使用しないで作ることもした。ベジタリアンのためには、たとえば大豆タンパクや豆腐ハンバーグも考える。

アニメも漫画も、音楽も美術も、国境を超えて求められ愛される。

ファッションも食文化も、もはや特定の民族や国民を超えている。

伝統や古典も、最新の流行も、古いテレビドラマやナツメロの復活まで

文化と経済は、国境や国籍を超越して、無国籍化していき、逆輸入が当たり前になっている。

モノに限らず、人も情報も、互いに世界の人々の生活と社会に染み込む。

国際的な組織と制度が整備され、さまざまな協定が結ばれる。

平和と豊かさと自由な交流が守られ拡大し…そこに戦争が始まって、だれも得をせず、悲しみと憎しみが生まれるだけだ。

それでも戦争が起きる…

政治権力と軍事力とは、そういうものだと、そう言う以外に表現の仕様がない。それほどまでに、権力と暴力とは、強大なものだというしかない。

戦争は、それじたいが独立したひとつの怪物だ。一個の巨大な怪物だ。

その巨大な力に対しては、

ただ不戦を求め、それを意識するしかない。

無条件に不戦を願うこと。それがなによりも大事なことである。