再び戦争放棄を思う

ウクライナとロシアの交渉が少しでも明るい兆しが見えてきたことが喜ばしい。ここまで辿り着けたのは、ウクライナの粘り強い抵抗と国際社会の連帯が大きいことは言うまでもない。それを前提にして、あらためて戦争放棄ということを考えたい。
戦争放棄は、国家が戦争をしないということである。国民や個人はまたべつである。しかし少なくとも国家は戦争をしないということである。侵略戦争はもとより、いわゆる自衛の戦い、自衛戦争といわれるものも、おこなわない。名目が戦争でなくても、事実上の戦争に等しいものは、紛争でも武力行使でも、いっさいおこなわない。広い意味で戦争をいっさいしないということである。
なぜ戦争放棄なのかといえば、あらゆる価値の中で人命を最も尊重するからだ。それは利害や経済、領土問題、民族問題や宗教問題、あるいは国家の威信や感情など、その他のいっさいのことを含めて、何よりも人命をいちばん大切に考えることからきている。その人命尊重も、いま「眼前で人命が奪われようとすること」それを避けようとする。だからそれは政治的ではない。国家は政治的なものではたるが、戦争放棄の思想と実践は、完全に人道的な視点に立つものである。それほど戦争は恐ろしく、たやすく人命が失われるということだ。しかも人為的に。だから戦争を絶対的な悪と考え、いかなるかたちの戦争もしない。それが戦争放棄である。戦争放棄は、世界にとって共通の最大の課題である。