帝国主義復活は男の悪あがき

ロシアの侵略戦争は、プーチン帝国主義復活であるという批判がマスメディアに現れてきた。その通りだと思う。時代錯誤なことは確かだ。しかしなぜ今さら時代錯誤な行為をするのだろうか?思うに、男の悪あがきだと思う。ジェンダーのことが世間で真剣に課題になり、草食男子という言葉が流行り、性的なことに限らず多様化・多様性の可能性と権利・自由が公認の価値を持ちつつある現代ーー「男」に価値の固執を強く抱きながらも自己の屈折感から免れない人間が求めたことーーそれが大国の指導者で独裁的な権威と権力を持った人間が、世界に自己の存在をアピールしたくて、やったことがウクライナ侵攻だと思う。
帝国主義とは、ひと言でいえば「資本と征服欲求が結び付いた国家主義」だと思う。たとえタテマエとはいえ、搾取と支配を否定するはずの社会主義大国の諜報機関に身を置いた人間の成れの果てとは、さすがに恥ずかしい。
しかしプーチン個人が性的価値の変化に乗り遅れた「男の成れの果て」として帝国主義復活を求めたとして、その標的とされたウクライナにとっては、ただ迷惑なことでしかない。だがそこで予想をこえてウクライナは、帝国主義復活に断固として「ノー」と言った。人類社会の変化の流れを止めることを、きっぱりと拒否したのだ。なんという勇気ある決意であろうか。これほどの堂々とした権利と自由を正面から突き付けて侵略者に立ち向かった国家と民族、そして人民の姿を見ることは、かつて人類史上、初めての出来事である。人類は、この一事をもって人間であることの自信と誇りをもつことができる。帝国主義の復活を許してはならない。二度とあの侵略と支配、差別と搾取、偽善と排他主義の世界にしてはならない。
戦争そのものは悪である。それは絶対に世界から消滅させねばならない。しかしそれと同時に、自由とデモクラシーを守ろうとするウクライナの正義の火を消してはならない。帝国主義という暴虐な怪物を蘇らせてはいけない。ロシアが侵略してウクライナが抵抗したことで戦争が発生したが、しかし、ウクライナの抵抗は戦争ではない。自己の尊厳を守るための自衛行為であり、生存を賭した闘いだ。この闘いが勝利すべくために世界は全力で支援すべきである。ウクライナを守ることは、ひとりウクライナのためのみならず、われわれ自身を守ることである。ウクライナ国民の果敢な闘いは、国境を越えた人民主権の旗である。この光輝ある旗を守らねばならない。