気まぐれな文化

文化とは人間のことである。人間の集合体とその営みの歴史そのすべてを文化と呼ぶ。

文化が人間だ。

文化が人間のあかしである。

そして文化は、気まぐれに積み重なる。

古くなった文化を古典文化という。その時代と世の中にあって、多数や主流ではなく、しかし昔から続いていることを古典文化という。

ラジオ体操は古典文化である。

爪入りの学生服は古典文化である。一般的なファッションとしてのセーラー服は古典文化ではないが、女子学生の制服として現在でもセーラー服を用いられていれば、それは古典文化ということになる。二千円札は古典文化だ。書籍で例えば新潮文庫などは今でも枝折代わりの紐が付いているが、これなどは古典文化といっていいと思う。ナルト巻入りのラーメンを古典文化というかは微妙だが、いずれそうなるかもしれない。

科学も政治経済も、人間関係のありようから国際会議も何もかも含めてーーあらゆることの中には古典文化と言えるものがあるだろう。

だが基本的に文化は気まぐれなものだ。その時々の流行りや需要供給関係や社会の力関係やーー人々の嗜好や衝動や惰性などで文化は生まれる。

気まぐれと流行の連続の上に文化は生まれ成長する。あるいは滅びる。

人間そのものが気まぐれなのだ。

とうぜん文化も気まぐれである。