何も戦争を防げない
ウクライナの最大の教訓は「戦争を防ぐ手段はない」ということだ。
文化も経済も、資源やエネルギーも、人的交流もネットワーク社会も、国際組織も…
ハンバーガーの材料は、宗教に配慮して、牛や豚を使わないことを考える。ジブリ作品が世界をめぐる。赤十字には宗教を超えて赤月旗もある。民間有志の国境なき医師団もある。
ファッション・モデルの肌が一色ではなくなったのは、もう遥か昔だ。コロナの騒ぎこそあるが、エイズ、HIVのパニック…あの混乱に比べたら、ずっと冷静だ。ではエイズの差別と排除は何だったのだろう?と思うぐらいだ。
多様性の共存が謳われ、同性婚は決して珍しいことではなくなるだろう。障害者のノーマライゼーションが言われ、たとえまだそれがタテマエであったとはしても、そうあるべきだと認知された世界に向かっている。
あれほど頑強であったアパルトヘイトは、いったいいつの時代のことかと聞く人さえいる。キューバ危機という事件を知らないことはもとより「冷戦」や「東西冷戦」という言葉さえ知らない人がいても驚かない。それどころか「米ソ」の「ソ」が何か知らない人を珍しいとは思われなくなった。
共感と寛容が理想とされる世界になった。少なくとも、それが世界がめざす方向性になっている。誰しもが「やさしさ」を求める時代になった。
「ハラスメント」という言葉が流行になり、その濫用が問題となる場合があったとしても、しかしその根底に差別に対するノーという社会規範が常識になったということは確かだ。インデアンは死語になりつつあり、アメリカン・ネイティブの呪術や信仰は、否定されることなく、むしろ尊重される。
ネットは世界の隅々まで人々をつなぎ、しかもそれは双方向である。特定の地位や職業や技術や多額の費用などを必要とせずに、誰もが発信者となった。テレビはBSなど多チャンネル化しケーブルテレビなどの専門チャンネルもできた。コンピューターが殆ど掌サイズになるなど誰も想像ができなかっただろう。それが想像できたとしてもSFの世界だろう。ーースマホには翻訳機能の付いたものさえある。
もはやSFは存在しない。
環境を無視できない世界となり、エネルギーのソフト化、エシカル経済も、それらはキレイごとでなく、現実の必要に迫られてのことになっている。
戦争をしても誰も得をしない。
それでも戦争は起きる。
戦争は、他のすべてのものを打ち壊す。それほど強力なものだ。
権力と暴力、政治と軍隊、
それが、それほどに強大なものであるということである。