正直・責めない・無理せず

「それはいいことだ」しかし「では君がやれ」と言われたら「それはイヤだ」
よく聴くような、やりとりだ。
総論賛成各論反対と、よく聴く。それは最も人間的な反応だと思う。何か人のためになる世の中のためになる、みんなにとっていいことだ。だれでも賛成する。だがそれで自分が負担・苦労や努力を必要となると、自分はそれに参加したり協力をすることはしたくない、となる。だが僕は、それでいいと思う。「それはいいことだし、やってほしいと思う」「だが自分はしたくない」「ほかの人がしてくれるなら賛成だ」ーー御都合主義であり、自分勝手であり、ずるくて、他人任せだ。ーーでも、僕はそれでいいと思う。もちろん、そうでない人もいる。りっぱだと思う。それでいいと思う。大切なことは、ずるさや人任せや無責任なことが人間にはある、ということだ。そしてそれを責めないということではないかと思う。責めるところからは、いいものは生まれない。責めるのではなく、怒ればいいのではないか。腹を立てればいいと思う。いやなことはイヤだと明確に認めればいい。ただ、責めるは「裁く」になりやすい。それは上から目線で、それは正義の押し付けになる危険性が大きい。
ひとは自分都合でものごとを考えようとする。それでいい。それでいいから、しかし、よいこと、少しでもよくなる方向に進んでいこうとすればいいのだと思う。無理をしないで。