しゃべる肉

人間は、しゃべる肉だ。
言語のイメージがすべてを決める。
習性や慣習、そして感情にしかすぎない。それを言語によって、その言葉に感ずるイメージを感ずることで、人間は善悪も真偽も、すべてがわかったような気になって、判断をし、そして決定する。
しゃべる肉。それがすべて、そしてすべて決まる。自分がイメージしたものがすべてになる。
ほんとうは誰も何もわかってはいない。ほとんどのことは思い込みだ。だが思い込みこそ真実であり真理であると人々は言うのだ。たとえあとで考えると、それは明らかにヘンだと感じようとも。その時々で人々は思い動く。薄氷が上の信頼…その上に乗っかって人々は言葉に含まれたイメージの映写に酔いしれるように、人々は多数派を作り上げてそれに酔いしれる。
集団は、イメージを受けることで、自分の都合に合わせてもらい、同じ日本語でもニュアンスのイメージするものから、じっさいを真実だと「信じる」。
これが集団みたいである。ことばで感じたそのおとなしい人々で国は体面は保て上司ということがすべて予想をしたはずですが…激しいみどりで。