ほんとに「解らなくて」いい

「解らなくてもいい」そんなことがよく言われる。でも、たいていは、そうは言っても、やはりホンネでは「解るほうがいい」という場合が多い。僕もそうだった。いまは、確証まではもてないが、いまは「ほんとうに」解らなくて、それでいいと思っている。というより、どれだけ「わかる」ものか、と、わかる自信もなくなった。解るわけがない。わかるもんか。
解ったような気になることもある。それならそれで、べつにいいじゃないか。あとでまた、それが違うと思ったら、べつにそれでいい。
そういうものだと思うようになった。