武器供与は慎重に

ウクライナは自由のために戦っている。その通りで否定しない。ロシアの侵略を阻止して独立を守ってほしい。そのために各国がウクライナに武器供与をすることを否定はしないし、すくなくともそれを頭からいけない、などと言うつもりはない。ただ二点、それはそれで、やはり考えて欲しいことがある。
1つは、ウクライナを守るためではあるが、それはそれとしても、より強力な兵器を用いることは、現実に戦争を、より激化させ継続させることにつながるということ。
もうひとつは、国際世論が、兵器開発や軍事同盟の強化など、軍事力に依存する傾向だ。
プーチン大統領の問題は今さら言うまでもない。しかし、それを理由にして、なんでもかんでも「要はプーチンが悪いのだから」と言って、無批判に、無制限に、無思考的にーー軍事力の増強と依存の方向に進んでいいのかということだ。
歴史の歯車は逆回りしようとしている。「けっきょく最後は軍事力だ」という結論に持って行こうとしている。
軍事力で最終的な決着がつく、そう思われることや、表面的にはそう見えることは多い。過去にもあったし、現在でもそれは多く目にする。
しかし、そこで大切なことは、さまざまな理由と状況で、軍事的にものごとが終結したように見えても、それは出来事のうちの、ほんの僅かな部分のことに過ぎない。軍事的なことは、本来は望ましくないことだが、やむを得ない1つの方法であるはずだ。それを、あたかも、はじめから「軍事力による解決」が「当然」のように為されてはいけない。いま世界は、この「軍事的解決優先」の方向に進もうとしている。それは変えなければならない。