脳ミソの悲劇

生命は脳ミソをもつことで不幸になった。脳ミソが発達したことで、さらに不幸になった。それでも脳ミソは必要だったのか?まあ、必要があったから増えたんだろうさ、脳ミソが…
ヒトとか人間とか人類とか言われる生き物は、とても好奇心が強くて、それで疑い深くて嫉妬深いので、脳ミソがやたらと重くなり精密になった。
脳ミソの発達が、好奇心・猜疑心・嫉妬心を生んだのでは、ない。事実は、その反対だと思う。じっさいはその反対に、好奇心・猜疑心・嫉妬心が強かったから、その結果として、脳ミソが発達をしたのだ。
その異常に発達しすぎた脳ミソによって、言語・思考・論理などを使って、さらに好奇心・猜疑心・嫉妬心を強め巨大にした。
それが人間に、自分が「認められたい」「認めさせたい」という承認欲求を生んだ。そこに人間の悲劇は決定的になった。すべては脳ミソの発達に理由があり、好奇心や嫉妬心にその原因があったのだ。