誰が知性なんて言ったんだ?

知性って単語は、へんてこりんだ。
知識とか知的とかの「知」という文字に、「性」だよ。性格や性質の「性」もそうだが、やっぱり「性」という文字を見れば性別や性行為などの性をイメージする。ふふん。
しかし結局のところ知性は、知的な感じ、インテリとか教養とかをイメージさせる。ふふふん。
だが知性が人を、ややこしくしたのだ。それは要するに、知識をもとにして「りくつっぽく」なったことなのだ。ところが、その「知識をもとにした理屈っぽさ」というのは、ある程度の普通以上に、まとまった知識と思考力が必要になる。それで「知性」ということが、やはりある種の特権的な感覚になってくる。
しかし、世に知性を必要以上に持ち上げる傾向がなければ、そんなに知性も羨ましがられたり、特別視されたりは少なくなるだろう。
知性なんていうものが、なまじ世の中をややこしいものにしてしまったのだと、そこに気がつけば、だれも知性などを良いと思わず、それを求めもしなくなるだろう。