みんな本当は分かっている

メディアは大げさなものだ。それはみな、分かっている。…のだが、それでも繰り返し報道されると、人はそれを事実のように感じていくものだ。
とくに昨今のウクライナ=ロシア戦争から以降の4カ月間くらいはーーそのなかでも時期によって違いもあるが、ーーだが、ひと言でいってメディア報道は「男性性の志向」になった。断言するつもりはないが、戦争ーーここで、限定した表現で「戦争」のみにかぎるとして言う。「戦争の報道は世論を男性性の思考と論理で染める」と。政治信条がどうのこうのに関係なく、世論は戦争を肯定し、ロシアに対抗するためなら何でもやっていい、の風潮になる。そしてその風潮をヘンだと誰も思わなくなる…そのうち、ロシアを倒すためであれば、その内容にかかわらず無条件に「それは当然」「どうしたら、それが可能か」…と、それを「当然」を「前提」として語るようになるだろう。いや、すでにそれに近く、その一歩手前の状態だと言えるだろう。
ロシアを倒すためならば、もし仮に核兵器を使用することでロシアを倒せるという前提が出来た場合、人々は、核兵器の使用についての是非は問わなくなるであろう。核兵器を使用することは「当たり前」で、それは「議論の余地のないこと」になっているだろう。人々の関心は、核兵器を「どのように使うか?」に向けられる。その核兵器の威力や程度や攻撃目標や…すべて「純軍事的」なものごとだ。力の行使と力の勝敗、いわゆるパワーゲーム感覚そのものの世界だ。これは基本的に、男の論理、男性社会の志向性である。すくなくてもメディア報道は、対ロシアという範囲において、ここぞと言わんばかり、軍事の一色に等しい。
ドローン兵器、フェイク情報の「情報」そして双方の「プロパガンダ」非難の応酬…現在のメディアそれじたいが既にプロパガンダになっていないだろうか?…戦車の供与、新式ミサイルの発着、空母の航路、弾薬の不足、
外国人兵士、戦争犯罪NATO拡大ーーこれは何だ?武器、兵士、占領、軍事同盟、プロパガンダ、ーーこのように暴力・戦闘・破壊・軍隊・兵器・軍事同盟といった「力」と「戦い」が、なんのためらいもなく、肯定的に扱われ、話題や情報にのぼり、それをファッションやゲーム、アニメを見るのと同じような感覚で触れ、感じ、あたりまえのことのように話す。
戦争をあたりまえのことのように語るーーこれが現在のメディアである。