平和は政治とは違う

戦争と平和の問題は政治的だと思われているが自分は違うと思う。政治とか宗教とか特定のイデオロギーや民族の問題を超えた「国家など権力や集団の殺人や暴力」という感情の行為だと思う。「それを政治的と言うのだ」と言われたらその通りかもしれない。だが自分はやはり、戦争と平和に関することは、「政治的」だと思いたくない。すくなくとも政治や政治的であってはならないと思う。
じっさいに戦争をするのもやめるのも政治家がおこなう。首相とか大統領といった名称でなくても、それが政権を握っている軍人であっても、事実上は国家を掌握している宗教者でもあっても、実質的に「政治家」が戦争も平和もその決定権を握っているといえる。
しかしたとえ政治家が決定権を持っているとしても、戦争と平和の問題は、「政治的」であってはならないと思う。平和は、政治や権力から超越した「絶対的な人間の理念」であると思う。
いまウクライナ=ロシアの戦争は、きわめて政治的になっている。政治を離れ、ただ唯一「平和」を祈念する信念のみで、この殺戮を停止すべきである。具体的には停戦の実現である。即すべきは「戦闘」を中止することである。そこに政治、権力、経済、民族、宗教、イデオロギー等々の問題はいっさい論じない。戦後の権力構造や勢力均衡や
パワーポリティクスや安全保障、あるいは戦争犯罪や戦争責任、国際法や国連機構の改革などもいっさい問わない。「非戦」こそが大切だ。
武力を持たない。しかし既に在る武力を手放すことに不安があるなら、せめて武力を使わない。すでに武力行使が為され戦争・紛争がおこなわれている場合は、できるだけ速やかにその戦闘を中止する。ーそれが非戦である。戦わないこと、戦いをやめること、それが非戦であり、平和への道だ。国際社会は、国際世論は、政治的な権力構造や政治的「かけひき」を超えて、全力をあげて「非戦」の声をあげよ!