メディアに惑わされず非戦を

マスコミなどのマスメディアもSNSなどのネット社会のメディアにしても、メディアは情報源としてものごとの判断材料にしながら、同時に大事なことは、ウクライナ=ロシア戦争においては最も大切なのは非戦の概念だと思う。侵略と自衛を同じ立場にはしない。しかしそれをそれと認識をした上で、それでもなお「非戦」が大切だということは忘れるべきでないと思う。言葉や論理の矛盾があっても、非戦の価値を忘れてはいけない。
矛盾を承知で述べる。侵略をされた国が武力行使によって抵抗・抗戦をすることは正しい。その上で、しかし非戦は大切である。
いまおこなわれている戦争での非戦の主張の難しさは、それがロシアの撤兵を求める場合はいい。だがそれがウクライナにたいして非戦を求めると、それはウクライナに自衛・抵抗の権利を放棄せよということに等しくなる。もちろん、抵抗には非暴力・非協力のような方法もある。それに対する賛否・評価や効果の是非などはあるだろうが、たしかに武力によらない抵抗や防衛の方法や考え方はある。しかしそれは、じっさいに侵略を受けている国民にたいして求めることはできない。それは当事者が決めることだからだ。それにそもそも侵略をする国がなければ、そこには抗戦もない。おのずと非戦の状態が保たれる。
だからそのこととは別次元で非戦を、その「非戦」ということ自体の価値として主張していくことが必要なのだ。いまの状態の場合、ウクライナの国家や国民にたいしては、非戦ということは、いっさい言わない。ロシアにたいしては、反戦や停戦、撤兵などを主張する。非戦というのは、「平和」という広い概念のなかの、やや具体的なイメージとしての言葉である。
メディアでもウクライナ=ロシアの戦争をきっかけに「自分の国は自分で守る」という主張も聞かれるようになった。その主張は以前からあるものだし、いまに始まったことではない。ただウクライナの情報が伝えられることで、それが更に国防意識の高まりに勢いがつくということはわかる。主張は自由だが、ただ日本国憲法のとくにその第九条の理念は「非戦」である。すくなくとも国家にたいしては非戦を規定している。「それではもし他国から侵略を受けた場合はどうするのか?」「日本はどのようにして国を守るのか?」という問いにたいしては、その答は、「日本は、他国から武力による侵略を受けた場合、とくに国防や自衛の方法は定めていない」ということだ。「それでは国を守れないではないか」ということにたいしては「そのとおりだ」と答えるしかない。国を守りたくないとは言わない。しかし「国を守る」ことよりも「非戦」をとる、これが第九条の基本的な方針なのだ。これが第九条が定める「戦争放棄」の基本理念である。