侵略と抵抗について

ロシアの武力侵攻に対するウクライナの抵抗は、全般に正規軍と非正規軍とによる、主として武力によるものだ。結果は当然、戦争になり多くの犠牲者を出し続けている。非はもちろんロシアにあり、ウクライナには自衛権があるのだから武力抵抗は当然の権利だ。先日おこなわれたイスタンブールでの交渉は、それなりに進展があったと聞く。ウクライナの強い抵抗によって、当初の予想よりロシア軍は足踏み状態になり、ロシア軍の被害も多数となった。国際社会のロシアに対する批判も予想以上に大きなものとなった。そういった状況があったからこそ、ウクライナとしても、もちろん充分とはいえずとも、それなりの効果を挙げたといえると思う。ウクライナはロシアのような大国からも容易には屈しないことの世界に示し、現段階で全面的な占領・支配を防止していて、交渉をかなり優位にもってくることができた。軍事力と外交は一体のものであるということを、あらためて認識させられた。
前記のことを前提にして、非戦及び戦争放棄を考えたい。侵略的なものはもとより、それが純然たる自衛のためのものであっても、それが武力によるものであれば否定し、その目的を問わず武力行使をしないということ、これが非戦というものだと思う。また非戦を前提にして、国家は武力行使や紛争・戦争をいっさいおこなわないこと、これを戦争放棄といっていいと思う。いかなる理由・内容・目的でも、戦争をしないという姿勢は、どのような理由から生まれたのだろうか?
それは「確実に人命が失われることを避ける」ということからきている。国の主権が失われ、他国から占領され支配をされることになっても、もちろん外交上の不利になっても、それでも、「人命を大切にする」ことを、あらゆる価値の上に置いているところからくる理念である。戦闘になれば、確実に人命が失われる。利害や立場や国の独立などをこえて、まず人間のいのちを守る。そこに立つのが戦争放棄の考えである。戦争放棄は、これからの人類史に必ず大きな意味をもつと思う。