公家物語(17)

なぜ自民党の政権が続くのか?…この問いは長い間いろいろな人々が言ってきていることだと思う。一時的に政権が変わったり連立の相手が違ったりすることはあっても、おおよそは自民党が中心の政権であり、基本的には自民党の単独与党、ほかの勢力は万年野党というのはコンセンサスを認められた感覚ではないかと思う。
自民党政権が長期間続いている理由については、これまた多くの専門家やメディアが言っていることだろうがーなんだかんだ言っても、やはり自由が守られやすいという感覚があるからじゃないかとか、資本主義の経済を全面的には支持は出来なくても、へたに社会主義になると抑圧的な窮屈な社会にならないか不安であるとか、戦後の成り行きでアメリカ側についているほうか、全体的にみれば無難に安全にやっていけるのだろうとか、いろいろ問題を批判されながらも、あれこれつじつまを合わせながら、けっきょく、なんとか切り抜けているではないか、だから余程のことがなければ「自民党でいいではないか」という自民党政権の存在じたいが既成事実のように認知されているからだとか、それらに加えて本当に信頼できる野党がないからだとか…ここに挙げた理由は、みなそれぞれにある程度うなずくことができるだろうし、少なくとも真っ向から説得力をもって反論も難しいのだと思う。
公家はそこで思った。ーもし仮に自民党以外の野党政権がーしかもそれが、たんに数合わせや一時的な僥倖(ぎょうこう=たまたま運がよかったとか、そのときの勢いに乗ってとか)ではなくて、長期的なものであるためには、よほど世の中の根本からの変革を多数の国民が求めて、しかもそれが具体的な政策として圧倒的な支持が得られた場合であろうと。
つまり自民党政権とは「そう悪くはない」という「すごくいいとは言えないが」しかし「ひどく悪いわけでもない」という既成概念の上に成り立っているのだと思う。ーだから「どうしても自民党ではダメだ」という状態で人々の意識もそう思わないかぎり、自民党政権が続くのであろうと思う。
ーまあ、王朝時代の貴族政治もそんなもんだったろうな…公家はベッドにごろんと横たわって呟いた。
自民党というのは、日本の総体なのだろう。もちろん自民党政治に反対する人々はいる。その数も決して少ないわけではない。また同じ反対の理由も様々で、真逆の理由から、自民党を中心にした政権、政府、国家の在り方の根本から具体的な諸政策などに反対する人々がいる。それらの人々や状況を含めて、結果的には、まあ自民党が支持されているということなのだろう。
ーははん、要するに日本には、ひとつの政党しかないんだな。公家は、昼間スーパーで買った「マシロン」という変な名前の菓子を口に頬張りながら思った。ぐんにゃりとした柔らかいマシマロの中にバタークリームが入っているヘンな味の菓子だった。
もちろん日本には多数の政党とか政治団体とかがある。しかし実際には、それらは政党というより「派閥」のようなものなのかもしれない。それは財界や労組などの利害関係の集団かもしれない。自由主義とかマルクス主義とかエコロジーなど、思想とかイデオロギーによるものかもしれない。高齢化社会とかジェンダーあるいは外国人や障害者といった社会集団やまた個人の立場などからくる問題意識のことかもしれない。そういった利害や思想や政策の相違などから、それらの全体を或いは部分を、ある程度に吸収して政党などの政治集団が生まれる。自民党は、日本という社会全体のなかでの、そのとくに政治的なことでの最大派閥なのだといえる。
自民党政権・政府、自民党の政治は、それは日本の、あるいは日本人の総体だといえる。それ相当の反対意見や反対勢力を含んだ上での「総意」なのだ。それは当然に、自民党自民党政権を覆(くつがえ)す可能性を持っている上でのことだ。
自民党政権とは、理想を一段なり二段なり、ある程度「理想を引き下げた」姿ではないかと、そんなふうに公家は思った。福祉や人権ということが必要であるのは充分に、とまでは言えないとしても、とくにこれからの社会で大切なことは自己のこととしても理念的にも判ってはいるつもりだ。だが同時に、経済効果や効率、外国との競争力などといっ た問題も気になる。安保も軍隊も米軍基地もないほうが、ほんとうはいいのかもしれない。そうはいっても、周辺に大国同士がせめぎあい、不安がないといったら、それは嘘になるだろう。要するに「ほんとうは、もっとこうしたほうがいいのかもしれないが」と思わない訳…それは「大変だ」「不安もある」「その勇気もない」「そこまでは思い切れない」「めんどくさい」「そのためには、リスクや苦労も背負わなければならない」…等々…そこまでは踏み込めない、そういうホンネの都合のいいところで落ち着く。それが自民党なのかもしれない。
公家はにわかに眠気におそわれた。公家はいつのまにか眠っていた。