叶の母娘(おやこ)関係について

ドラマ「トクサツガガガ」の主人公、仲村叶と母親との親子関係について、最近主たる次の三様の見解を聞いた。
(1)は、「人は喧嘩して仲よくなるものであり、とくに親子は子供の親に対する反抗・反発がなければ自立できない」というものだ。そういう意味で叶は、やっとそれを経験でき、本来はもっと早い時期にそれをするべきであったが、今回ようやくそれが出来た。というものである。
(2)は、反抗や反発は、しなくてもすむのであればそれでよく、無理にするものではない。親が親としての役割から離れて「親が個人となり」しかもそれで子に「理不尽なことを押し付け」たり、矛盾した言動があったとき、そのとき子供は反発・反抗をする。だから叶は、母親から言われたり為れたりしてそれがつらかったり煙たがることはあっても、基本的には反抗や反発は持たなかった。それが母親が親としての立場や役割から離れた「個人」としての「感情」が出たとき、叶は反発・反抗をしたのだ。というもの。
(3)は、反抗とか自我確立とかいうより、もっと単純に、「自分の大切なものを奪われた、破壊された」ということで叶は怒り感情が出た、というものである。
筆者自身は、(3)の考えに含まれる。もちろん(1)と(2)の見解は大切な課題であり、自分としてはその内容そのものを否定しない。ただ、叶の場合は、基本的には、自分が大事にしているもの、ものごと、気持ち…を傷つけられ奪われたと感じ、かりにそれまではなんとか耐えてきたものが、さすがに怒りの感情が爆発したのだと思う。
しかしこの物語の優れたところは、必ずしもひとつだけの正解や結論で満足はしきれず、つねに新たな考え方が生まれる可能性が大きいと感じられる、というところにある。また前記の三点以外にも、また様々な見解が有りうるであろうとも思う。
たしかに叶は、それまで基本的に母親に真正面から反対・反発・反抗ということをしてこないできた、といえるだろう。それでも隠れて特撮を楽しもうとはした。しかしそれも限界だと感じたとき、十代の殆どの期間を特撮なしで過ごした。それはそれで、やれたのであろう。その後に特撮への想いが再燃したときには、物理的に母親から距離を置く生活ができたので、基本的には特撮に夢中になる日常が可能になった。自活することで、子供の頃とは母親との立場も変わっただろう。ただ、それでも、かつての母親との精神的な確執は、なかなか根本からの解決はできなかった。それがとうとう母親に対して感情が爆発した。ー細かい解釈や難しい理論はべつにして、ひとことで言えばそういうことなのだと自分は思う。しかしそれを前提とした上で、自分などには解らない、いろいろな考察も、たぶん出来るのだろうし、それは有意義なのだと思う。
そういうことを含めて、さらに理解が深められていったらと思っている。