西欧からの解放

近代日本は西欧の束縛から出発した。それは戦前期の日本の知識人と呼ばれた人々に、西欧との格闘を強いた。西欧が意識的にしたわけではなかった。西欧にとって日本など、しょせん成り上がりのアジア人の新興国家にしかすぎない。

日本の知識人は西欧を気にした。近代日本は、西欧コンプレックスそのものだったといえる。はたして日本の知識人たちがそれほど気にするほどの価値が西欧にあったかはわからない。あったかもしれないが、日本が実際以上にそれを過大評価していたかもしれない。

戦後の半世紀近くを日本は西欧というより、アメリカに対する憧れと競争で、少なくとも対外的には意識していった。「愛しながら追い越そう」という「けなげ」にして「あわれ」ともいえる営みだった。

しかし今や日本の知識人に西欧はない。知識人と限らず日本人に西欧もアメリカもない。現在の日本が意識する対外的とくに経済と文化の意識する相手は韓国である。中国は大国だが、いちおう体制の違いもあり、軍事的なこともあり「遠い大国」だ。

日本から西欧がなくなり、日本人の特に知識層からの文化文明における意識は消えた。近代以降の百数十年を経て、日本は文明を気にしなくなった。けっこうなことだ。ただ文化と思想に対する向上と向学心は消えた。そして謙虚さも失った。