平和と権力

社会の最大の価値を平和に求めた場合に、ではその平和のためであれば、なんでもしてもいいのか?どんな社会でもいいのか?世に言う独裁や全体主義、監視と管理、SFや近未来物語に描かれるようなコンピュータによる支配、逮捕・監禁・拷問・刑罰・隔離・追放などの抑圧社会…それで仮に「平和」が保たれたとしても、それを住みよい世の中とは思えない。そもそもそのような社会が本当に平和だとは思えない。

それでとりあえず戦争のない社会、あるいは戦争とは呼ばないけれど紛争のない社会、ー戦争や紛争と言われるものが無い世の中を、いちおう「平和な社会」「平和な世界」と言うことにしよう。それが全体主義や管理社会、恐怖で人々を抑圧する社会…それは非常に恐ろしいことであるために、それを否定しそのための戦いであれば戦争もやむを得ないという考え方もある。

前記のような認識と社会観に立った国家がアメリカであろう。自由・人権・民主主義という建国の理念から生まれ、その理念がたんに宣言や観念的なことにとどまらず、現実社会において実現化をめざし続けるというのが、アメリカ合衆国という国であり生き物だ。もちろんアメリカも、暴力やテロを積極的に肯定するわけではない。テロに対し最も過敏に反応しているのがアメリカであることも承知の事実だ。ただ同時にアメリカという国にとっては、暴力・武器・軍事力・戦争といったものも、状況によっては必要悪という認識も強いし、必要「悪」をこえて、むしろ積極的に「戦争もやむなし」という感覚の大きいことも、またたしかな現実だと思う。アメリカにとっては、「独裁政権を倒すための戦争」「差別や抑圧から人々を解放するための戦争」「テロや暴力をやめさせるための戦争」「戦争をやめさせるための戦争」は、ただの戦争ではない。むしろそれは事実上は「革命」に近い概念である。もはやその場合、戦争は悪ではない。それどころか、その場合には、「戦争こそ正義」となる。これはヨーロッパとくに西ヨーロッパに成長した近代の価値観だ。古代ギリシアアテナイ(アテネ)から中世の封建社会を通して、近代西欧で全盛となった価値観だ。それは個人の権利を最大の価値としてとらえる認識からきている。それをタテマエや形式だけでなく、現実の実際問題でも徹底的に追求をしているのがアメリカだ。アメリカは西欧文明そのものだといえるだろう。

しかし文明というのは西欧文明だけではない。アメリカの理想が全ての世界で全ての人々にとって必ず良いものだと決めつけることはできない。近代西欧文明の理想は個人の尊重を基盤にしているが、しかしその個人の尊重で最も重視されてきたのは能力主義だ。個人がその能力を自由に発揮するのは良いことだろうし、またその個人が能力を伸ばせるように社会が協力していくのは良いことだ。だが問題は、個人の能力発揮を肯定するのはいいが、能力を発揮した者や能力の高い者を、特別に評価し物心ともに、あきらかに必要以上と思われる利益や賞賛を得る社会には疑問がある。これは「やる気を出させる」「働きがいのある」「向上心をもつ」「可能性を追求する」という社会、よくいわれる「活気ある世の中」を社会の在り方の前提とした価値観だ。「活気ある世の中」を否定しない。だがそれが資本主義社会と密接に結びついている。資本主義が「活気ある」そして「豊か」で「自由な」社会を創りやすいことは否定しない。ただそれは資本主義でなければ絶対に不可能なのだろうか?西欧文明のもたらした帝国主義は、いちおう植民地が殆ど姿を消して、2百前後の独立国がある現在の世界で、その後遺症とでもいうような現象に苦しんでいる。いまだに絶えることのない、いやむしろ激しさを増しているとさえいえる飢餓、独裁政治、テロや暴力、民族紛争・宗教紛争、戦争や内戦の繰り返し…それらは大半が西欧文明の影響から生まれたものだと思う。政治家や役人の不正、軍事クーデターや革命の繰り返し、部族紛争と呼ばれるものや宗教戦争と言われるものを含めて民族紛争だと言われるもの、それらの根源には西欧文明の影響があると思う。民主的に見える制度、学校教育、軍隊…そして資本主義。国家主導によるインフラ整備と援助。開発独裁社会主義イデオロギーがいびつに結びついた計画経済の失敗、そこに押し寄せる外国資本と商品。西欧の文化や近代化は、もちろん良いものが多いかもしれないが、しかしそれはあくまで、それに触れる人々による。民族や部族、国や地域、それらによってちがう。西欧文明が普遍なものかどうかはわからない。仮に普遍だとしても、その受け入れ方はさまざまだ。意識的か無意識的かを問わず、政治的か否かを問わず、西欧文明は支配文明になっている、あるいはそのような傾向になりやすい。

戦争さえなければ良い世の中だとはいえない。しかし戦争が、それそのものとしては「悪」であることはたしかだ。その両方を認識する必要がある。暴力の支配にも抑圧の支配にもノーと言うべきだと思う。暴力であろうと抑圧であろうと、権力であろうと戦争であろうと、支配は悪だ。言葉や形式だけでなく、その本質を知る必要がある。そしてそのために最も大切なものは、素直な感性だと思う。