言語の壁

言語の壁は、厚く高い。民族の摩擦や確執の大半は、恐らく言語の問題だろう。それに宗教や政治や歴史の問題などが加われば、尚更それは深刻になるだろう。

強い側が言語を使う場合に有利になる。すべての人々が、自分の言語を使うことができるのが、やはり本来はいちばんいいのだと思う。だから同言語の者同士の集団で生きていくのが理想だと思う。そして必要なときや、やむをえない場合には、専門の通訳者の助力を借りるしかないのだろう。また昨今は、翻訳機も発達してきているらしいから、それを活用できるものなら、大いに活用すればいい。

語学ができるなら、もちろんそれにこしたことはないが、しかしそれも限界がある。個人差はあるが、ふつうは1つの外国語を学ぶだけでも大変だ。

英語が事実上のある程度の国際語になっている以上、英語学習が必要なのは仕方ないであろう。現実なのだから。

英語学習に力を入れていくことを前提として、それ以外には、その言語を使う集団にとって、とくに必要な度合が多いと思われる言語を学ぶようにする。それぐらいが基本だと思う。

政治的・軍事的・経済的その他いろいろな理由から、力関係で優位な民族や国家のほうの言語を、より力関係で弱い側の民族や国家の人々が学習し使わねばならないということが多い。そこに不公平が生じる。その不公平さを解消していくことが、とくにこれからの民族間の共存と共生に最も大切なことだと思う。