環境と精神

精神を肉体・身体や環境・境遇及び経験と別物として全く独立したものとして考えるのは間違っている。その人の身体や健康状態、それを取り巻いている家族や交友関係などの人間関係や日常の生活や資産などの経済状況や職業或いは学歴・教養などを含めて社会環境、そしてその他のさまざまな、その人の生きてきた体験・経験などーーそれらすべてのことを含めて、それを広い意味でのその人の「環境」または「経験」と呼ぶとすればーー或る1人の人間の精神とは、その殆どはその人の「環境」だということができる。

環境と別物のように見える遺伝的な、生まれながらの性質・性格なども、その人の意思とは関わらずに受け継がれてくるのだから、遺伝的なこともまた環境と考えることができる。ーーこのように考えていくと、あらゆる環境を完全に無視して、まったく環境と無関係な「精神」というものは、事実上は考えられなくなる。それでも、そういった広い意味での、考えられるであろう限りの環境を徹底的に突き詰めていって、それでも何か「これは間違いなく、環境から独立した精神だ」というものがあるのかどうか?それは正直なところ解らない。ただ事実上、環境から完全に自立した純粋な精神というものは、ほとんど考えがたいと言わざるえないと思う。

環境を離れて精神というものがないとすれば、その人の精神を考える場合には、その人の環境を考えねばならないということだ。これを逆に言えば、その人の精神とは、その人の環境のことだということもできる。

精神は環境の反映である。