人権は欲望の中和

人権というのは、欲望を適度に中和するようなものだと思う。経済的な利益でも、権力や権威などへの渇望でも、快楽的な欲求でも、さまざまな欲望とか欲求とか呼ばれるものを人間は持っている。その種類や内容はまたいろいろあるが、ひとは生存に最低限の衣食住などの呼吸・水分摂取・栄養・睡眠・排泄・生殖など、生理的な欲求を満たされることは当然に必要だが、それだけでいられないというのが人間だ。それを「贅沢な要望」といって切り捨てるのではなく、そういった欲求・欲望などを含めて「人間」なのだと思う。だから欲望は必要なものだと思う。必要なものだが、残念ながら欲望は無制限に拡大する傾向がある。それは結果として、他者や周囲を抑圧や破壊していくことになる。極端な例を挙げれば、核兵器の開発や所有をみれば判りやすい。人類を複数回も滅亡させることができるほどの兵器など、なんの意味も無いということは誰にでも判る。それで誰も得をしない。つまり、欲望というのは、それじたいは必要なものだが、同時にそれは、すべてを苦しめ、最後はすべてを破滅させてしまう恐怖のエネルギーを持っているということだ。ではそれをどうするのか?欲望の否定や禁止や抑制は、しょせん無理なことであり、無理を強引に押し付ければ、結局それはまた別な形で、しかも、より悪いものとなって現れる。欲望とはそういうものだ。だから、そのために、人々のあいだでの、優しさ・関わり・仲間・共同体感覚・多様性の共存・相互協力の生活や社会・情報の公正な流通…そういう努力や知恵や、くふう等が必要になる。そういうものが、けっきょく「人権」ということになるのだと思う。それは欲望を抑制するのではなく、欲望を「中和」することだと思う。欲望は、人々や世の中を破壊する危険性を常に持っている。しかしその欲望は中和されることによって、人々や世の中を助けるエネルギーにもなる。ーー人権とは、欲望の中和のことだと思う。