白線の光(7)

叶は無欲だ。あんなふうに生きられるなら最も幸せだろう。成ろうと思い成れるかはまたべつだろうが。
叶にとって特撮は欲に含まれない。特撮は生存でその中でも生活に近い。叶にとっての特撮は趣味ではあるが、同時に生活だと思う。
生存に必要なことのうちでも、とくに最初の生命活動そのものを維持するためのこと、呼吸と飲食、どうしても必要なものだ。衣食住のなかでも衣と住は、気候その他の環境などで差や違いが、その重要度が異なるかもしれない。ただ、生存のために、絶対に必要不可欠かどうかはべつとして、事実上の必要なものであろう。
では彼女が特撮なしで生きられるかといえば、生きることはできると思う。かりに彼女から完全に特撮を取り上げたとして、それはとてもつらいことは言うまでもないが、かといっておそらく叶はそれで自殺することはないと思う。自暴自棄になり、たとえばアルコール中毒になり、仕事を辞め、借金づけになって…などには、おそらくならないとは思う。しかし死ぬとか破滅するとか、そうまではならないとして、しかし生きがいといえる特撮なしではつらいし幸せ感は、特撮があるときに比べて、はるかに少なくなるだろう。
やはり特撮あってこその幸せであると思う。
そう考えると叶にとっての特撮は、趣味ではあるが、たんに趣味を超えて、殆ど日常に欠かすことができない生活そのものでもあるといえる。
だから叶にとって特撮は、欲とか欲望とか、そういうものとは違う。まずそれは承認欲求と無縁だ。それから利益とか仕事・商売とも無縁だ。いずれにしても、そこには打算的なことがいっさい介在せず派生しない。
だから叶はヒーローなのだ。女だからヒロインなどと言いたくない。性別など無関係でヒーローなのだ。