闘争心と支配欲求

闘争心と支配欲求は、関係もあるが、だが同じというわけではない。
スポーツやゲーム、戦いや勝負・勝敗といったもの。それらはたしかに闘いや勝ち負けが関係する。しかしだからといって、それが必ず支配や支配欲求につながるわけではない。もし仮に、スポーツなりゲームなりで、勝者が敗者の生活や人格や言動などを、自分の思うように命令したり、自分に従属させたりコントロールしようとしたりしたら、それは支配になる。
政治・軍事・経済などでの闘いは、それが権力に関わることが多く、それは支配になる。それが権力や地位によるもの、経済的なこと、個人的なかかわり、などによって支配をしよう、支配したい、ということになると、それは支配となり、支配欲求が原因になる。支配欲求こそ人間とくに、男にそれが多いと思うが、ーーけっきょく抑圧や差別につながる。戦争は支配欲求の典型例であり、じっさいその戦争によって支配が生まれる。