無意識の民族

日本と民族のことになると必ずといっていいほど「日本は単一民族国家」と、それに対して「日本は単一民族だと言われるが、それは違う」という主張だ。この論争は実感の乏しい論議だ。日本が単一民族か多民族かは、多くの日本人には、あまり関心のない課題だからだ。ふつうに日本人としては、日本は、たぶん単一民族だと感じるだろう。それでいちおういいと思うし、そのことが日常的に問題になることは少ないと思う。日本は単一民族だと感じている、というのが日本の民族意識だからだ。それも、ほとんど無意識のうちに。
問題になるのは、ナショナリストの言動や、何かの事件や国際問題などが持ち上がったとき、あるいはそうでなくても、日常的に差別や偏見が実際の社会問題化をすることだ。つまり人権や人道的な問題に対しての場合だ。そういうときに持ち出される単一民族論の主張は、必ずといっていいほど、そこに差別的・排外的・日本の優越意識的なものが含まれているからだ。だからそれに対して「日本は、決して、言われているような単一民族ではない。日本は多民族国家なのだ」という主張が必要になるからだ。
一般的な感覚で日本は単一民族というのはそれほど神経質になる必要はないと思うが、しかしあまり「単一民族」ということを安易に使ったり、実際には日本人以外の人々も住み生活しているということを忘れてはならない。