「読む」って

文字や文章を読むってのは、なんか、ちがうんだろうか?そんなに「読む」って、なにか特別に意味があるんだろうか?ーーあるんだろうな、きっと。
昔からよく聞くことだが、よくその国の国民の文化水準ーーこの言い方も、なんだろうかと思わないでもないが、まあいいとしてーーその文化水準とか教育水準とか、そういうことの基準として言われるときに「識字率」というのが使われる。
国や地域や民族や人種や性別や、ーー要するにそこでの教育水準やら文化水準やらで「自分の名前を書ける者」という言い方がすごく多い。やたらに当たり前のように目にする。ーーやっぱり「自分の名前を書ける」って、そんなに大事なことなんだ、たぶん。
そりゃまあ、そうかなあ…署名もできないしな…
たしかに文字を読める、さらに書けるというのは大事だ。それが出来ると出来ないでは大違いだ。そこは解る。
で、読み書きができると便利で、できないと不自由だというのは解った。
しかし読み書きができて便利だということ以外に、読み書きをすると、たとえば特に「読書をすると知的な能力が高まる」というのは本当なのだろうか?そのあたり半信半疑だ。そういう気もするが、言いきることもできない。仮にそうであっても、その理由は解らない。
文字というのは魔物だ。