気まぐれ

人生も世の中も、宇宙という存在じたいも、みな「気まぐれ」で生まれ、動き、感じ、死に、そしてもしかしたらまた生まれ変わり、延々と気まぐれによって存続していくのかもしれない。ひとは「自分が必要とされる存在でありたい」と望むものだと言われるが、それは嘘だ。そのように思い込んでいるだけにすぎない。気まぐれだからだ。気まぐれなのだ。
自己なども存在しないが、気まぐれはそれを信じさせようとする。やがて勝手に思い込んだ「自己もどき」に振り回され、それを勝手に吸引力と思うのだ。そこに吸引ーーむしろ「求引」という造語を使いたいがーーそれらしいものがあると信じ、それを欲する感覚になるのだ。
欲せられるものなど、ない。欲せられているという思い込みがあるだけだ。価値が欲しくなるのは退屈だからだ。存在に価値はない。そもそも暇が有りすぎるものに、なんの価値があるだろうか?