「守りたいもの」を考える

戦争そのものが悪だということは、それを一般論としては多くの人が思うことかもしれない。ただ、それぞれの国や国民、民族、思想や宗教、そして最終的には個人のことになるのであろう。もちろん、時代によっても違いは大きいだろう。
昔あるジャーナリストの書いた本に、こんなことが書かれていた。その本は手元にないし、その文章を正確に覚えているわけではない。ただ、おおよそ次のような意味のことが書かれていたと思う。「悪いのは戦争ではなくて侵略だ」と…「日本は中国を侵略した」「中国は侵略に抵抗した」「中国が抵抗をしたから戦争になった」「中国が抵抗をしなければ戦争にはならなかった」「だから抵抗した中国が悪い」という論理になってしまい、それは日本の侵略を肯定することになってしまう。…正確な文章そのままではないと思うが、そういう内容だったと思う。僕はそれを読んで「なるほど」と思い、「悪いのは侵略なのか」と思った。
またやはりずいぶん昔だが、ベトナム戦争末期の頃のことだったと思う。ある知人の1人がベトナムに対して「あれだけ戦争を続けられることは素晴らしい」と言っていたことを覚えている。
やはりそのベトナムだが、テレビのドキュメンタリー番組かなにかでホーチミンが「最も大切なもの…それは民族だ!」と言っている場面があった。
また、誰の言葉か知らないが「われに自由を!しからずんば死を!」という有名な言葉があったと思う。アメリカ独立のときのことだったか…それはともかく、気持ちは判るような気がしたし、いい言葉だと思った。
ーーこういったことは、とてもデリケートな問題だと思う。自分だけの気持ちや、あるいは自分にとっては「常識」だと思っていることだけでは、なかなか言い切れるものではないと思う。
僕自身は、戦争という行為や現象から、「戦争」ということそれじたいに対しては「戦争は絶対に悪い」と思っている。ただし、誰が悪いとか、どちらが悪いとか、そういう戦争における発生・原因・理由・性質・責任・意味・価値、等々といったことには、いっさい無関係に、ただ「戦争そのもの」に対して「絶対的に悪である」という考えをもっている。
僕は究極のところ、その人が何をいちばん大切にしているのか、何をいちばん「守りたい」のかーーそれに関わってくるのだと思う。そう考えていくと、「私はこう思う。こうしたい」「あなたはそう思う。そうしたい」という、それぞれを大事にしあうことに行き着くような気がする。
今なお続いているウクライナとロシアの戦争においても、ロシアの侵略がいけないことはたしかだ。ウクライナについては、ウクライナという国家の立場や方針があるであろう。個々の国民については、たとえ戦争によってどんなに大変なことがあっても、それでも「守りたい」もの、大切なことがあるのだと思う。「戦争をしてでも守りたい大切なもの」があるのだと思う。
だからウクライナの国家と国民が武力によってロシアに抵抗をすることは正しいと思う。もちろんウクライナの国民のなかには、戦わないという人もいるだろうし、抵抗はするが武力は用いないという人もいるだろう。それは、その人その人のことだと思う。
その上で私は、戦争そのものは残酷で悲惨なものだから、すこしでも早く戦争が終わってほしいと思う。一刻も早い停戦を願う。