第九条と不安

九条は二つの意味で「不安」を持たせ続けている。
1つは「改憲されて自衛隊が正規軍になってしまうのではないか」という不安であり、もう1つは「現行憲法のままでは日本の安全を守れない」という不安だ。いずれも、1950年代のなかば頃から現在に至るまで、おおよそ60年間から70年間に渡る国民的な「不安」である。この年数は、平均寿命の延びた現在では短めかもしれないが、しばらく前であれば、充分に1人の人間の生涯にも等しい時間だといえる。
つまり戦後しばらくの数年間を除いて、この九条をめぐる「不安」は、殆ど戦後日本に延々と続いているということだ。
しかし今回は本当に改憲になるかもしれないとも思う。これまでと違うのは、ウクライナが頑強に抵抗をして、小国が大国に対して断固とした態度で戦う姿に国際社会やメディアが大きな同情と尊敬の念をよせ、それを支援する感情を高めた、そしてそれはたしかに現実に効果をあげているということだ。そこで「それでは日本はどうなのだ?」「平和ボケした日本人に、そのような勇気と決意があるのか?」「いのちをかけても守るものが日本人であるのか?」「第九条を変えなければ日本の安全は守れない」…ここに結びつく。そして今回ばかりは、本当に改憲の可能性も大きいかなと思う。それも時代というものの力なのかもしれない。