プーチンいじめ

国際社会とメディア報道は、こぞってプーチンに対して批判を続けている。プーチンが悪いのだから仕方なく、
当然だと思う。プーチンがいじめっ子でウクライナがいじめられっ子だとすれば、ほかの子供達や生徒会、あるいは先生やPTAや隣近所など…ようするにそのいじめっ子の周りのすべての人々が、大人も子供も一丸になって、いじめっ子を集団で制裁しているということだ。
いじめっ子の家族は他人のふりをし、友達は次々に離れていき…それをふつう自業自得というし、それでいい、それが当然と言える。いじめっ子は制裁を受けても相変わらずに「いじめ」を続けている。いじめられている子供は、とにかく可哀想で、守らねばならない。守れてもいるかどうか判らないが、かといって暴力で守るという方向も考えものだし、暴力には暴力を、もまた問題がある。ので、直接には暴力は用いずに、暴力以外の、いわば非暴力の手段によってーー経済制裁と言論で、できるかぎりの批判と抵抗と制裁を加える、これも正しいと思う。
いじめられ続けている子供に相当するウクライナは、けなげにも精一杯に抵抗を続けている。可哀想であり、けなげであり、ますます応援をしなければと思う。ーーその通りだ。まったくその通りであり、ほかに言いようがない。いじめっ子ロシアは、意地になったようにますますいじめを続ける。愚かなことこの上なく、周囲の子供達や大人たちは更に徹底して制裁を強めることが必要で、そのようになっている。ーーいじめっ子をさらに叩き、罰し、孤立化させる。まったく正しい。世界はこのように変化してきたのだと思う。これまでのように安易な力の支配は許されない時代になってきたのだと思う。個人や1国内にかぎらず、世界的な規模でも新しい意識と秩序の世の中がやってきたのかもしれない。
ただひとつだけ、ロシアに対抗することやプーチンを批判することじたいは必要でありそれはいいとしても、ここぞとばかりロシアやプーチンを悪く言い、自分の欲求不満の「はけぐち」のように、ここぞとばかり悪口雑言に非難をするというのは…何か違う気がする。自由かもしれないし、だめだとは言わないが、ーーそれでもあまり気分の良いものではない。プーチンの悪口なら、なんでもいい。プーチンのことであれば、なにをいっても許される。ーーそうかもしれない。たしかにそうなのかもしれないが、それにしても、もうすこし考えることはないのだろうか…多少の自重さえない。