自民党は天皇である

自民党天皇に等しい。それも旧憲法天皇に近い存在だ。もっといえば、戦前の天皇の権威と権力に議会や官僚などの支持・協力が加わった総括的社会集団体制だといえる。
政権党は自民党に決まっていて、選挙は自民党に対する信任投票である。これはなかばセレモニー的なもので、決定ではないが、よほどのことがないかぎり信任される。
選挙、とくに国政選挙それも衆議院選挙で自民党が勝つのは当たり前のことであり、それが前提である。自民党は必ず(といっていいほど)過半数議席を占めるのであり、それは選挙をする前から解っている。
なぜ自民党がそれほど支持されるかといえば、天皇だからだ。自民党天皇なのだ。だからその地位は変わらない。それでも選挙をするのは、自民党以外の勢力があることによって、全体のバランスをとるためだ。自民党は相対的に国民の支持を得ているが、しかし自民党だけではすべてを為すことはできない。批判も含めて他者の力とその存在が必要なのだ。天皇は前提的に統治権を持っているが、じっさいには天皇だけですべてのことをするのは不可能だ。天皇の補佐役に相当するのが野党だ。野党の存在を含めて自民党政治なのだ。
それでは、名実ともにじっさいの天皇はどうなのかといえば、それは神格化した皇祖皇神と考えればいい。
このように日本の政治とは、広い意味で自民党による政治だといえる。これは例えばカトリック教徒が国民の大半を占める国で、前提的には同じ信者だが、その上でさまざまの党派や勢力が政治的には反映されるというのに似ている。あるいはそれをイスラムの国に例えてもいい。つまり日本の国民は、前提的に自民党の信者だといえる。その自民党の分派や反発勢力などを含めて全体では自民党の政治・社会を運営しているのである。