ロシアに対する報道

ロシアに対する報道の仕方は、比較的によいものだと思う。すくなくとも、とくに悪いものではないと感ずる。
あくまでも日本でのとくにマスメディアにかぎることだし、それも全体のなかでのごく一部にしか自分は接してはいないと思う。ただその前提だが、ロシアに関して、必要以上の感情を持たせるような極端な偏った報道の仕方は感ぜられない。
マスメディア、といっても自分が触れるのはもっぱらテレビぐらいだがー、原則的に「悪いのはプーチンでロシアは本来は悪くない」という報道姿勢をとっているようだ。自分は何も知らない普通の視聴者だから、とくに確かめようもないのだが…すくなくともテレビを観ているとそう思える。そしてそのやり方は、たぶん成功しているのだと思う。できるだけロシアの国民には批判的なことは避けて、むしろプーチンという独裁者に抑圧されている被害者に近いという扱いである。これは、概ねのところ正しい見方であろうと思う。ただその上でだが、ロシア国民には、自由民主主義という概念に対しては、どこまでそれを支持しているのかは疑問ではあるが。個人の尊厳に立脚した自由の概念、民主主義の実感、人権ということ全般の認識、それらにたいして、必ずしも体制に抑圧されてやむを得ずにというだけではなくて、国民性といった感覚から、近代西欧社会とは違うのではないだろうかと感じる。だからそれが一概に悪いというより、もっと共同体的な感覚かもしれない。自分の勝手なイメージだが、ロシア人は、比較的に人種や民族に対する偏見や差別感は少ない、とまでいえるか判らないが、とくべつにひどいような感覚は少ない。ただ、他国や他民族に対する過剰にちかい防御反応のような体質はあるかもしれない。
「独裁者プーチン」の言動に焦点を当てた報道の姿勢は、批判の対象になる国家や集団の指導者にもっぱら問題を集中して採り上げるということでは、そう珍しくはない。ただプーチン大統領の場合、格別に「落ち度」や失敗、というように如何に彼が現実を見れなくなっているか、目算がはずれ、アクシデントがおき、「失策・失態」を重ねているかを報じる。これほど独裁者とはいえ、大国の首脳を滑稽(こっけい)さと、ある種「同情」さえしてしまいそうなイメージ、ここまでの感覚はこれまでのメディアでは少なかった気がする。なぜだろうと思ったら、これはネットを意識してかもしれないと思った。報道が統制されているロシアで、SNSに流させるため、それを期待してのことだろう。時代は変わったなと思った。