支配より戦争は怖い

他国から侵略され支配されるのは怖い。ましてそれが全体主義国家であれば、その支配は想像を絶するほど恐ろしいものだろう。それを前提にして、なお次のようなこともある。
暴虐な支配はもちろん怖い。ただそれは、かぎりなく百パーセントであっても、やはり百パーセントではないだろう。しかし戦争は百パーセントいのちを奪う。武器を用いて戦いあっているのだから、ある意味で当然である。当たり前のことだが、「交戦」状態なのである。「その場」「その時」が、事実として砲弾やミサイルなどが飛んできて爆発するのだ。爆弾が降っているのだ。現実の事実として、武器による戦いあいがされて、殺し合いがおこなわれているのだ。その物理的、暴力的な破壊の連続は、それじたいが破壊の連鎖なのだ。戦場は映画ではない。戦闘はゲームとは違う。そこにはいっさいの余裕がない。「猶予なく」殺戮と破壊は、おこなわれるのだ。
戦争放棄とは、「確実な殺人」を阻止することなのだ。「その後の心配」よりも、いま確実に人命が失われることを回避することなのだ。
戦争をしない。絶対に戦争をしない。それがいちばん大事なことなのだ。