第九条の思想は犯罪ドラマの人質の場面に似ている

日本国憲法第九条の非戦の考え方は、犯罪ドラマや特撮ヒーロー番組などでよく見る犯人が人質をとる場面に似ていると思う。
アクションドラマや刑事ドラマなどで犯人が、あるいは特撮ヒーロー番組などで悪い怪人などが、たとえば子供とか、子供でなくても、誰か1人の人間をつかまえて、その人の喉元に刃物を当てて、あるいはその人の頭に拳銃を当てて、「動くな、動くとこいつの生命(いのち)は無いぞ」、といった場面がよくある。
たいていの場面では、それで警官なり、あるいは特撮番組のヒーローなりは、そこで自分の持っている武器を捨てて犯人や怪人の言われた通りにすることが多い。もちろんなかには、それでも、あえて犯人等を無視して、犯人や怪人などを倒そうとする展開の場合もあるが。ただ、自分の印象では、人質を無事に取り戻したあとに犯人を取り押さえる、というような話の展開が多いと思うが…それはともかくとして、これは人命第一の考え方をあらわす最も判りやすい例ではないかと思う。そして基本的には、憲法第九条の基本的な考え方もそれと同じではないかと思う。
冷静に合理的に考えた場合、犯人の言う通りにしても、犯人がおとなしく人質を解放するとはかぎらない。それどころか、犯人は警官やヒーローなどのみなを拘束して、さらに人質やそのほかの人々を殺してしまうかもしれない。現実にはそのほうが確立は高いかもしれない。ドラマなどでは、ヒーローが「卑怯だぞ!」と叫び、悪の軍団の怪人が「ワハハ、馬鹿な奴らめ」といったやりとりがあり、ーしかしまあ、そこで正義のヒーローが奇策を用いて結果的にはみな助かり怪人も倒しメデタシメデタシとなるが。…だがもちろん、じっさいには特撮番組や刑事ドラマのようにうまくいくとはかぎらない。しかしーここで大事なことは、とにかく、たとえその瞬間であっても、その場、その時に、たとえそのあとにどうなるかはべつにして、いま目の前におこなわれるであろう殺人を止めようとすること、言い方をかえれば「いま確実に奪われそうな生命(いのち)を守ろうとすること」ーそれが重要なのだと思う。
日本国憲法第九条の考え方は、前述のようなドラマで描かれることに似ていると思う。仮に日本を侵略する国があるとして、第九条では、すくなくとも国家は、それに対して武力を使って抵抗するとか、武力行使での抗戦、戦闘など、いわゆる自衛戦争といわれるものはしないことになっている。さまざまな憲法解釈はあるし、現に自衛隊日米安保もあるが、それについての是非や考え方はまたべつにして、すくなくとも憲法制定時の基本の考え方は、「非戦」である。
侵略者に対して、ただ黙って相手の言うなりになる、されるままにする。それは理不尽なことに決まっている。かなわぬまでも「一矢(いっし)報いて」という気持ちも当然だ。また更に進んで、「だからこそ軍事力も必要だし、また軍事同盟も大切だ」と考えるのは、べつにおかしくないし、むしろ普通の考え方だ。
侵略国に対してあっさり手を挙げてしまったら、そのあとにどんなにひどい目にあうか判らない。殺戮、略奪、差別と暴力、抑圧の支配を受けるかもしれない。そして、そういうことは実際に多い。ーそれでも第九条の理念は、「非戦」なのだと思う。それは、侵略をされて日本が支配されても、それで日本国民に過酷な運命が待っているとしても、いま確実に人命が奪われると判っている場合はそれを阻止する。それを防ごうとするーそこに意味と理由がある。たとえ自衛のためであっても、武力による戦い、戦闘、紛争、戦争ということになれば必ず人々が死ぬ。それを極力避けようとするのが第九条の基本理念である。それが、いわゆる「戦争の放棄」だと思う。