叶チャーム(3)

オタクということについては、よく知らない。なんとなく、珍しい趣味で、それもかなりそのことに夢中で、しかもそれが継続していて、ほかのことには基本的に関心がない。ー抱いていたイメージはそういうものだった。
何かに熱中することがあっても、熱しやすく冷めやすい場合は「凝り性」であってオタクとは別だと思う。
そういうなかで芸能人を好きになるのは昔からあり、「追っかけ」といった言葉も聞いてはいたが、それは「熱烈なファン」という言い方ですむように思う。アニメを好きであることがオタクの代表のようなことを聞いた気がしたか、アニメを好きな人は昔からいて珍しくなかった。程度の違いはたしかにあるだろうが。読むほうの漫画になれば、大人になって漫画を読み続けるのは当たり前だと思っている。もちろんそうでない人はいるし、そもそも漫画を読まない人もいるが、それも当たり前のことで、しょせん個人の趣味だと思っている。鉄道マニアもいれば、大人になってもラジコン飛行機に夢中な人もいるだろう。切手やコインのコレクターなど昔からいて、それが成人しても続いている人はざらにいる。映画が大好きで、暇とカネがあれば映画館に通いっぱなし、などという話は珍しくもなんともない。その延長で映画評論家になった人が大勢いる。もっともそれが仕事にまでなる場合はまたべつと考えられるかもしれないが…要するに、いつから、なんで、オタクがどうのこうの言われ始めたのか、それが何か重要なことなのか、自分には殆ど判らないというのが実感だった。
ーそれが仲村叶という存在によって、初めて「これがオタクなのか!?」と感じた。こんな可愛いくて、社会生活がちゃんとできて、職場の同僚から評判が良くて、それこそいわゆる「三度のメシより…が好き」という例えがこんなにピッタリと当てはまる。しかもそれを周囲に隠している。そして、その好きなものが「特撮」…頭がくらくらするような衝撃だった。
特撮が悪いなどとは全く思わない。それどころか、時代も世代も違うので、もちろん同じにできないことは当然だが、ナショナル・キッドや少年ジェットのような、いわば特撮ヒーローものを自分はいつも夢中で観ていた。ただ、それは8歳くらい、小学校の3年生ぐらいまでのことだ。厳密にいえば、自分が小学校の3~4年生ぐらいの頃は、ちょうどウルトラQに始まりウルトラマンキャプテンウルトラウルトラセブンと円谷系のウルトラ・シリーズが放送された頃だ。あるいは同じ頃にマグマ大使もやっていた。だがそれは、フィクションであることの認識はもちろん、怪獣とか変身などは架空の存在だと完全に判った上で、でもそれはモチーフや造形やイメージなどからそれを楽しんでいた。幼少時にナショナル・キッドや少年ジェットを観ていたのとは感覚が全く異なる。その入り込み様も違うし、興奮の程度も違う。幼年期のそれは、どっぷりとその世界に入り込んでいた。本気度が全然ちがう。
叶はたぶん、僕が幼年期に感じていた感覚と全く同じ感覚で特撮を観ているのだと思う。もちろんそれを架空のフィクションであるという知識としての認識はある。知識としての認識はあるが、感覚は幼い頃と同じに、完全に物語の世界に入り込んでいる。あの夢中になりかたはそうだ。叶の感覚は幼年期のままなのだ。ーこれが衝撃なのだ。そこにが女性であること、そして成人であること、さらには社会人として普通あるいは普通以上に振る舞っていること。ーそれが「これがオタクなのか!」という衝撃だった。